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一、Gは話にならない > 人材登用、秩序回復等全て今後の宗門の > 事ではGで...

sug********さん

2020/2/401:25:38

一、Gは話にならない
> 人材登用、秩序回復等全て今後の宗門の
> 事ではGでは不可能だ。

> 一、Gは学会と手を切っても又二三年したら元に戻
> るだらうと云う安易な考へを持っている
これは川辺メモにあるそうですが、
Aは先師日達猊下(G)の頃から創価学会の解体を狙っていたようですね、日達批判の中 心にあったのでしょうか、本当は本山事業で功績のあった日達猊下を貶めたかったというのが本音じゃないのかな。どう思います。

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wak********さん

2020/2/1019:04:52

>本当は本山事業で功績のあった日達猊下を貶めたかったというのが本音じゃないのかな

仰る通りで間違いないかと存じます。

日顕氏は「日達上人のニオイのするものは、みなイヤだ」と言い、登座するとすぐ細井管長がかわいがっていたタンチョウヅルや他の鳥、犬たちを大坊から追い出しました。

日顕氏はまもなく、細井管長が住んでいた大奥の庫裡(くり)そのものを破壊してしまいます。新しく作ったのは、日顕好みの京なめりの和風の建物。贅(ぜい)の限りを尽くしたものでした。

細井管長時代に造られた六壺(むつぼ)は日本を代表する和風建築として、日本建築学会で大変に高く評価されたものでした。無論、充分使用に耐え、壊す理由などどこにもありませんでしたが、日顕氏はこれも破壊し、登座9年2ヶ月の昭和63年10月、新築します。

日顕氏は六壺と前後して大化城を取り壊すとともに、大講堂のそばの園遊会などで使っていた「流れの庭」も壊しました。

これらの経過からしても、日顕氏が細井管長から「血脈相承」を受けたと見る者は、まずいないでしょう。

平成7年10月、大客殿の取り壊しにかかります。
平成10年3月、自分好みの客殿を竣工。(ただし、「客」すなわち信者用のトイレはありません)
平成10年6月、正本堂の取り壊しにかかります。
平成14年10月、奉安堂竣工。(これも信者用トイレなし)

こうして日顕氏は、細井管長の業績を無に帰し、すべてを自らの業績として塗り替えました。

(平安出版「暁闇(ぎょうあん)」を参照させていただきました。)


桜の木の大量伐採も、上記の一環と存じます。
「この切り倒された桜は、正本堂建立を記念して、その意義を後世に伝えようとの趣旨で、昭和四十二年から四十七年にかけて植えられたものである。総本山第六十六世日達上人と池田名誉会長の手によって進められた大事業の一環をなすものである。
林立する桜には、正本堂建立という、仏教史上においてもっとも意義深い建築物の寄進に諸手を挙げて参加した人々の尊い御供養の誠が込められている。」(「地涌」より)
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/17/598.html

正本堂については当初“謗法だから壊した”としていましたが、「学会員を折伏して檀徒作り」に都合が悪くなり、“メンテナンスや維持費がたいへんだから”に理由改変していますね。

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2020/2/408:34:06

Gはゴキかも

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