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フランクリン・ルーズベルトはなぜ「反日政策」をとったのでしょうか?

六ちゃんさん

2009/1/623:46:16

フランクリン・ルーズベルトはなぜ「反日政策」をとったのでしょうか?

とりあえず1924年に「排日移民法」が制定されるなど「ジャパン・バッシング」の
延長であることはわかりますが、彼が1933年、大統領に就任するや、
ソ連の国家承認、親中派路線も明確になっていきます。
この「反日政策」に向かった背景を教えて頂けますでしょうか?

補足できましたら、世界大恐慌からくる経済政策と
満州事変が諸外国に与えた影響も含めて、教えて頂けますでしょうか?

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qky********さん

2009/1/717:06:16

反日、と質問者さんは書いていますが
残念ながら昔の日本は
当時の欧米では、それほど重視されていません。

たとえば排日移民法と言われている法も、西ヨーロッパ国籍以外の移民一般を締め出すための法です。ようは、東欧系やアジア系はくるんじゃね~よ、という法なので、わざわざ日本人を意識して作ったわけではありません。
たしかに日系移民が集中したカリフォルニア州の議員によって、
アジア系移民の中でもめずらしく土地とアメリカ国籍を強く求める日系人にとってたいへん不利な条項が入りましたが、
アメリカではこの法(Immigration Act of 1924)を、東欧移民排斥法として見るのが一般的です。

日露戦争に勝ち、一次大戦で戦勝国になり
世界五大国の一つになった!
と当時の日本は自認していましたが
ぶっちゃけ「日本?なにそれ?」というのが欧米でのフツーの反応です。

多少くわしい人でも、せいぜい
一次大戦で英国軍をしばしば打ち破ったトルコのような、ある程度近代化されたエキゾチックな非白人国と思っていました。

当時の日本は工業力が乏しく、繊維などの軽工業製品を売って稼いでいた国ですから、
経済的な知名度に欠けていたのです。
そのわりに巨大な軍事力を維持していたので、そのアンバランスさは
今の北朝鮮やイランそっくりと言っていいでしょう。

当時でも日本文化は多少知られていたはずだ!と言いたいところですが
ハリウッド映画を見ても分かるように
今ですら欧米の人々はロクにアジア文化を理解できません。
ゲイシャ、ハラキリが関の山でした。

当時、わざわざ政治的に日本に注目していた人たちは、
わたしたちが北朝鮮やイランを見るような目で、日本を見ていたのです。

そして北朝鮮やイランが、
「アメリカだってIAEAの許可を受けて原爆を開発したわけじゃない!
われわれだけ禁止するなんてダブルスタンダードだ!」
と、先進国のズルを非難して、核兵器を開発しているように、
当時の日本も欧米のズルを非難して、
「お前らも植民地をもっているのに、なんで日本だけ責められるんだよ!」
と主張して、ガンガン中国を侵略していきました。

だから今、先進国のマスコミが北朝鮮やイランを
ボコボコに叩いているように
当時の欧米の政治家も、日本をクソミソに非難したのです。

反日といっても、その程度のものですよ。

そもそもソビエトの国家承認は、アメリカより日本の方が先です。当時の主要国の中では、アメリカの承認が一番遅いのです。
アメリカは一次大戦後、好景気がつづいて頭がおかしくなっていたので
「アメリカ的生活が、世界でもっともすぐれた生活だ!」と
バブリーな市場礼賛に満ち、そのくせ禁酒法のような法を平気で制定するくらい発狂していました。
大恐慌で、ようやく正気に戻ったのがルーズベルト期なのです。

また、満州事変はあまり注目されておらず、
欧米でも、政治家と、世界情勢を報道する高級紙が非難したくらいです。ですから満州事変の影響は、侵略された中国と、欧米から非難されて自分から国際連盟を抜けてしまった、あまりに自意識過剰な日本を除けば、これと言ってありません。

まあ、当時の日本は、国力につりあわない軍事力を持っていたために
ヒジョ~に自意識過剰でした。
自虐はバカバカしいですが、自意識過剰も同じくバカげています。ですがこの伝統は、困った形で現代にも受け継がれています。

ルーズベルトの陰謀で日本が戦争に巻き込まれた!とか
コミンテルンの陰謀で・・・(同上)
とか、色々主張する人がいますが、そういう人たちは
今の日本やアジアの重要度を、
昔の世界にあてはめる時代錯誤に陥ってるのだと思われます。

アメリカが二次大戦に参戦したがったのは確かですが、
アジアはついでで、
主目的はヨーロッパ戦線への参加だと考えた方が
当時の状況を考えれば、より論理的な説得力がありますよ。

質問した人からのコメント

2009/1/7 19:40:24

降参 実は質問文の中に「そもそも『反日』という表現が適切なのでしょうか?」と入れようかと考えていました。
靖国神社の遊就館の映画など観ると、当時の日本人の感覚はまさしく自意識過剰で、今の北朝鮮だと痛感する次第です。
BAの内容全てを鵜呑みにする訳ではなく、他の回答者様の内容も多分に一理があるので、多角的に物事を検証したいと存じます。
懇意にご回答して頂きました皆様に、深く御礼を申し上げます。

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ang********さん

2009/1/711:26:02

日本を開国させたアメリカは、日本との百年戦争に備えていたのです。


日露戦争に勝った日本が、次はアメリカと戦争をすると信じられていたのです。


アメリカ国内の黒人(奴隷)は、日本がアメリカに攻め込んできて解放してくれると信じていたのです。

グレート・ホワイト・フリート、白い大艦隊
Great White Fleet


1907年から1909年の間に世界を巡遊したアメリカ太平洋艦隊。艦隊を構成する31隻の艦船のうち、16隻の船体が白で塗装されていたことからこの名で呼ばれた。 1908年8月のシドニーをはじめ、メルボルン、アルバニーを訪れた。この訪問はアルフレッド・ディーキン首相の招きに応じたものであったが、ディーキンが直接アメリカ政府と交渉を行ったので、イギリス政府は不快感を持った。この艦隊に対するオーストラリア人の熱烈な歓迎は、当時のオーストラリア人が、太平洋において黄禍yellow perilに対抗する白人国家の同盟者を熱望していたことを物語っている。


そこで、アメリカは日露戦争後に日本を《ホワイトフリート》で恫喝していたのです。


日本へ来航した米国大西洋艦隊と日本の接伴艦隊のうち主力は下記の通りであり、1908年10月18日から25日まで横浜港へ4列8隻ずつで停泊した。 なお、()内は竣役年を示す。

第一列 コネチカット(1906年)、カンザス(1907年)、ミネソタ(1907年)、バーモント(1907年)、ジョージア(1906年)、ネブラスカ(1907年)、ニュージャージー(1906年)、ロードアイランド(1906年)。
第二列 ルイジアナ(1906年)、バージニア(1906年)、ミズーリ(1903年)、オハイオ(1904年)、ウィスコンシン(1901年)、イリノイ(1901年)、キアサージ(1900年)、ケンタッキー(1900年)。
第三列 三笠(1902年)、富士(1897年)、朝日(1900年)、相模(1901年)、吾妻(1900年)、八雲(1900年)、日進(1904年)、春日(1904年)。
第四列 香取(1906年)、鹿島(1906年)、筑波(1907年)、生駒(1908年)、宗谷(1901年)、音羽(1904年)、新高(1904年)、対馬(1904年)。
アメリカ大西洋艦隊の主力16隻は全て前ド級戦艦であり、接伴停泊した日本側は前ド級戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻、防護巡洋艦4隻である。その他、GWFは通報船ロンクトン、工作船パンサー、給品船グレーシャ、給品船カルゴーヤ、病院船レリーフ、給炭船エイジャックスが随伴し、日本側は通報艦の最上、龍田、淀なども横浜港で接伴停泊した。


日本に対する影響
アメリカは当時、大西洋に艦隊が集まっており、太平洋には装甲巡洋艦が1隻配備されているだけであった。まだパナマ運河も建設中で太平洋側で有事があった場合の不安が強くあった。また日露戦争でロシア艦隊が消滅すると、太平洋上には日本海軍だけが突出する状態となった。アメリカの保守派や軍人たちはアメリカの植民地であったフィリピンの孤立を恐れていた。

日本側にはアメリカへの日本人移住制限の検討が行われたことに対する世論の反発や、ポーツマス条約の仲介を行ったルーズベルト大統領に対する批判や不満もあり、日米関係は緊張状態にあった。また日本政府は前年の1907年の帝国防衛方針で初めてアメリカを第一の仮想敵国としていた。

艦隊が世界一周航海を始めると、アメリカやヨーロッパ諸国での世論は日本とアメリカの戦争が間近であると騒ぎ立てた。駐フランス大使の栗野慎一郎は「フランスの新聞は日米戦争不可避と書き、日本の外債は暴落した」と伝える。また駐スペイン公使の稲垣満次郎は「スペインの貴族や資本家から軍資金の提供の申し出があった」(スペインは米西戦争に敗北直後)と伝えてきていた。またアメリカの新聞も右派系を中心として連日に渡り、日本との戦争不可避と伝えた。

セオドア・ルーズベルトの伝記では、日本艦隊との交戦の可能性は1割ほど捨てきれなかったと回想したと伝えていている。

一方、日本政府は6日後の3月19日に艦隊に日本への招待の申し入れを行った。1908年10月に入り入港が迫ると連日歓迎・友好の記事で新聞が賑わった。アメリカ艦隊はその姿から、幕末の黒船との対比として白船と呼ばれるようになった。10月18日、横浜港に入港すると最高潮に達した。10月18日の朝日新聞に大隈重信は「艦隊来航観」という文章を寄せている。

ja.wikipedia.org/wiki/グレート・ホワイト・フリート

fel********さん

2009/1/701:40:24

ボクは小学生ですが…

ルーズベルト一族や母方のデラノ一族も中国との密貿易で財を成したのですよ。その利権を侵すものに敏感になるのは当然ですよ。

2009/1/700:20:05

文民政治家が、現役軍人に殺されたり、
出先の軍人が、天皇陛下や政府に無断で勝手に満州を侵略したり、
国際連盟を脱退したり、

こんなんで、民主主義国の大統領が親日的になってくれる可能性があるでしょうか?

jfk********さん

編集あり2009/1/712:00:00

日本が明白な中国侵略をしていたので”反日”になったのはごく自然で常識的なことでした.日本が異常だったのですよ.日本でも石原莞爾のようなまともな常識的な軍人は日中戦争にも日米戦争にも反対し続けていたのです.多くの反対の日本人がいたのですよ.昭和天皇もその一人でした.

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