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第二次大戦末期にそれまで三菱、中島、川崎の3社しか出来なかった単発戦闘機開発が

fir********さん

2020/2/1803:48:37

第二次大戦末期にそれまで三菱、中島、川崎の3社しか出来なかった単発戦闘機開発が

川西、立川、渡辺でも出来るようになったのは何故ですか?
歴代の三菱や中島でも上手く設計出来なくなっていたのにノウハウが無くても最先端機がが設計出来るのは何故ですか?

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iik********さん

2020/2/2001:54:11

これは、ぶっちゃけて言えば、そういうことでは無く、限界が見えてきた「レシプロ戦闘機」の可能性を探るための各種の試作タイプの中で、実現可能性の低いものを「暇なメーカー」に任せた、という類のものです。

メーカーの側から言えば、一般的なタイプでは大メーカーとの競争に勝てない、採用を望めない「弱小メーカー」が、特殊なタイプを売り込んで、あるいは指定を受けて、軍の公式試作機という地位を得ているだけです。

ともかく、「キ94‐1」や「閃電」などの串形双発、あるいは推進式単発双ブーム機、「震電」の推進式前翼機というのは、アメリカで言えばまんま「XP‐54」「XP‐55」「XP‐56」で、どこの国でもほぼ同じような試作をしているけれど、米機で「X」が取れていないように、まあ、制式採用には結局なっていない、そんな機体なんです。

世界的には、これら形式は1930年代末、エンジン出力が1000馬力前後で停滞した時期にも流行したので、これを合わせると、アメリカやドイツ、ソ連、イギリス、イタリア、オランダ、フランス、スウェーデンといった各国でいくつかのタイプが試作されながら、結局、制式化されたのは、「P‐39」や「Do335」を入れても、あとはジェット化で何とかというスウェーデンの「J21R」くらい、後は「ツインムスタング」くらいですかね?要するに、どこも結局、わざわざ作るほどの機体じゃあない、という結論となる形式なんです。

そんな中で、ある意味、とっても特殊なのが、「川西」の「紫電改」ですが、これは「本家」とも言える「三菱」があまりの迷走を続ける不甲斐なさで、結果、弱小メーカーの一般タイプが採用された特殊な例で、メーカーのタイミングと売り込みも上手かったとは言え、「よくモノになったよね!」と感心するような内容であることも確かです。

なんせ、「紫電改」の開発名は「1号局地戦闘機改」というもので、普通の海軍機の「○〇試○○戦闘機」という名称も無い、イレギュラーなものです。
つまりは、正規の試作機「十五試水上戦闘機」=「強風」を「陸上機化します」という「川西」の提案が、「十四試局地戦闘機」=「雷電」の不調があって「仮称1号局地戦闘機」として仮試作が認められ、さらに「改」まで制式化されたという、「三菱の大コケ」が無ければ、とても続かなかった設計なんです。

さらに、「強風」「紫電」「紫電改」は兄弟機と言いながら、それぞれ「主翼」「尾翼」「胴体」の形もかなり違い、これを戦時下のほぼ3年間でノウハウのない会社が完璧に処理できる筈も無く、正直出来が良いとも言えないような細部をしているんですが、それなりの性能にはなった、という点で、「川西」は正直、褒められても良いと思いますが、同時に「三菱」と「海軍」はその分責められても仕方がないと思います。

ともかく、川西の「菊原」技師は、「九七式」「二式」、戦後の「PS‐1」など「飛行艇」では名声を不動のものにしている一方、「紫電改」では今一つ知られていないのも、この機体の微妙な地位によるものと思います。
それでも、「紫電改」を「キ94」や「震電」ごときと同列化することは流石にちょっと抵抗を感じます。

  • 質問者

    fir********さん

    2020/2/2020:06:39

    ご回答ありがとうございます。

    各国ともに変形機は上手くいかなかったので震電も計算通りの性能が発揮出来たのか?
    戦後はすぐにジェット機の時代になってしまいましたから、プロペラの先尾翼の時代は来なかったですから。

    川西は不採用機も多く出してますが時代を先取りする様な新技術を積極的に試みているので、積極的なメーカーだと思います。
    数多くの施策を経た経験が生きていると思います
    紫電改を知られていないと書かれていますが、343空の活躍なので史実以上に鍾馗や飛燕、疾風より映画化や漫画化されていると思います。

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bow********さん

2020/2/1817:58:13

川西が最初に作った会社は陸軍(中島)に乗っ取られた!

  • 質問者

    fir********さん

    2020/2/2019:33:40

    ご回答ありがとうございます。
    中島知久平ですね。
    パトロンにされて追い出されていますからね。

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ipp********さん

2020/2/1809:46:09

川西が最初に手掛けた空戦も可能な機体は不採用に終わったハ試水上偵察機です。海軍は九○式以来複座水偵に水上戦闘機としての能力も求めていたので八試の開発は戦闘機的な機体の経験値となったはずです。それに川西製戦闘機の第一号となった強風は胴体形状は空技廠の研究を取り入れたもので主翼は海軍が東大航研に頼んで研究させたものですから自力で作ったと言えるかちょっと微妙ですね。航空機開発で一番の肝になるのは主翼の開発で胴体をいじるのは難易度が低いんですが、紫電改も主翼だけは強風とほぼ変わりません。習作のような強風~紫電改に比べると本番ともいえる十七試陸上戦闘機~陣風は形になりませんでした。陣風が初飛行までこぎつけて烈風よりマシな出来だったなら三菱を越えたと言えたかもしれませんが。

立川は陸軍が育てたメーカーで九八直協(これも空戦の出来る機体ですが操縦性には難あり)開発の時には三菱九七司偵の技術資料が陸軍経由で勝手に渡されて設計の基礎になり、キ94Ⅱも中島キ87の資料は参考にしてます。そしてキ94Ⅱは結局未完成なので戦闘機メーカーとしての実力は未知数なままです。飛ばしてみたら操縦性が最悪で計算上のスペックはともかく基本的な飛行機としての出来がどうしようもないというパターンも良くありますからね。

震電は実際には空技廠が開発してるんですが、試作機発注のときに事務手続きの面で生産を担当する九州飛行機のものとした方が都合が良いという話になり書類上は九州飛行機製になっただけという事情だそうです。

ちなみに大戦中にそれまで戦闘機を作ったことの無い会社が突然高性能機の開発に取り掛かったパターンは欧米にも複数あり、P-51という成功例も存在しますが大半は失敗に終わってます。上でも触れましたがカタログスペックは良くても飛ばしてみたら駄目だったということが多く、そういう面から見るとスペックが低くても操縦性は高評価だった烈風や同じく操縦性は良いと言われたキ87は老舗戦闘機メーカーのノウハウの蓄積が現れていたのかなとも思います。日本だと失速しやすい点が不評だった雷電も元々失速しやすい機体に慣れた米軍パイロットがテストした時には失速から回復しやすいと好評でしたし。

  • 質問者

    fir********さん

    2020/2/2018:06:45

    ご回答ありがとうございます。

    戦闘機設計は机上の理論だけでは出来ない、空戦時の引き起こし強度、失速特性や舵の効き具合など、スペックには現れないノウハウがあるように感じるのですよ。
    偵察機のように直線運動しかしないのなら 机上論に近い設計が出来ると思うのです。
    高空性能が良いと言うだけでB29対抗として造られた百式司偵や彩雲の迎撃機は空戦機動が出来ず役に立たなかったと言われていますしね。

    キ94Ⅱは綺麗な形をしているので、性能的には結構性能が出そうな感じですが、戦闘機動で経験不足が露呈する可能性はありそうです。

    日本の操縦員の失速への要求は翼面荷重を考えると厳し過ぎると思います。
    P51だって高速性能を重視して低速の失速性能は悪かったと言われていますから。
    日本人が求める低速での取扱の容易さは過剰だったと感じます。
    その為に肝心な高速域が犠牲になったと感じます。

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uga********さん

2020/2/1808:09:28

川西は、水上機作ってるし中島飛行機から別れた技師も多い

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lpj********さん

2020/2/1805:45:49

■川西
水上機に強いメーカーとして強風を受注。
単発偵察機の経験があり、紫雲で高速機を開発した経験を活かしている。
川西なりの戦況分析から水上機はあまり売れなくなると判断して、陸上戦闘機開発に乗り出したので、単に死活問題。
菊原技師は零戦の生産工程が過大な設計をバカにするなど、三菱に全く怖じけていない。

しかし、紫電はフラットスピン傾向など殺人機レベルで、紫電改で実用レベルになる。
それでも開発能力を示し、十七試陸上戦闘機など任されるようになる。


■立川
高高度試験機の経験があり、キ94Ⅰ高高度戦闘機の開発で主要メーカーに対抗したが、脱出出来ないなど指摘されて、当たり前の単発にしただけ。

その後、中島のキ87も難航しているので、独自の単発を開発したが、キ87以上に期待された訳ではない。

■九州
手が空いてたから震電開発に抜擢されただけ。
空技廠が元々開発を進め、鶴野大尉らが出向している。

  • 質問者

    fir********さん

    2020/2/2017:49:30

    ご回答ありがとうございます。

    各社の解説分かり易かったです。

    川西の菊池静夫技師は設計経験が豊富です。
    川西の11機の開発に関与したそうです。
    三菱では考えられないほどの多用性ですね。
    その経験が生きたのかも知れないですね。

    立川は東大から来た長谷川龍雄技師が卒業後4年で主任設計技師ですから凄いです。
    若さからのチェレンジングだったのでしょうね。
    経験不足から 試作機が完成してから仕立てるのに苦労したと予想されます。
    若い技師に開発を任せる立川も凄いと思いました。

    渡辺も 空技廠から鶴野正敬大尉が出向しただけで 最新鋭の新形式の戦闘機を設計出来るのも凄いと思います。
    鶴野大尉が1人で全てを設計するわけでは無いでしょうから それなりの見識がある設計技師がいたという事だと思います。

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