とてもくだらない質問なのですが、ふと疑問に思ったので教えて頂きたいです。

とてもくだらない質問なのですが、ふと疑問に思ったので教えて頂きたいです。 大河ドラマ程度の知識しかないのですが、昔の人は13歳くらい?で元服をしたのですよね? ということは当時の感覚からして13歳前後の人は今で言う20歳と見なされていたのでしょうか? 現代の20歳の人と、昔の20歳の人は本人も周りも感覚が違うのでしょうか?

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難しい質問です。実は当時の価値観を知るというとはとても難しいことなんです。 さすがに13歳で、現在でいう20歳という認識ではなかったと思います。 よく、13歳で結婚した話なんかも歴史で出てきます。しかし、これは上流階級の人の話で、記録をみると庶民は女性でも30歳代で結婚してる人も多いんですよ。

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その他の回答(8件)

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元服とは、大人の装束をすることです。 元服の、元は頭、服は衣装の意味です。元服の儀式では、上流の家(堂上家)は頭に冠をかぶり、それ以下では烏帽子をかぶり、髪を結います。江戸時代になると月代(頭の中央部)を剃ってちょんまげを結うようになります。衣服も当然、大人の衣服をきます。 また元服の際には、幼名を捨てて大人の名前(元服名、諱)をつけてもらいます。 それから元服は初陣(戦争への初出陣)や嫁取りと、セットでした。 元服と初陣を済ませて、嫁取りをしたら、立派な「大人」と認められました。 現在の成人など何の意味もありません。今でも田舎では、仕事について家を構えて嫁をとって、初めて一人前とするところが多くあります。元服は、これに近いものと考えて、大きな間違いはありません。

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感覚としてはあなたのおっしゃる通りなのではないかと思いますね。 現代の私たちがハタチの若者に向ける期待や不安を、昔の人は13の少年に向けていたのだと思います。 したがって、現代の20歳と、昔の20歳は本人も周りも感覚が違って当然ですね。たとえば「年増」という言葉がありますが、江戸時代には数え20で「年増」、25で「中年増」、30で「大年増」と呼ばれました。 一般に、昔の人の方が現代人よりもオトナに見えたと思われます。『天才バカボン』のバカボンのパパは41歳です。昭和の中頃は41歳といえばあんな感じだったのです。今の41歳はもっと若いですよね。ちなみに大阪府の吉村洋文知事は45歳です。

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江戸時代の武士の家は、後継ぎを重要視しました。 武士は主君(殿様)から、給料をもらっていましたが、その身分を続けていくためには、後継ぎが必須条件でした。後継ぎなければ、収入がなくなってしまいますので、武家では大変大きな問題でした。 男の子がいれば問題ないのですが、いなければ養子をもらって家督(給料をもらう権利)を維持しなければなりませんでした。 そのため、武士の家では出来るだけ早く後継ぎを確定しておかなければ安心できなかったのです。 幸運にも元気な男の子が生まれて、成人すれば家督を継ぐことができますので、その権利を確定するために「元服」という儀式を行いました。 だいたい元服の年齢は15歳でしたが、早く決めておきたいという心理が勝って、それより早く元服式を行ったこともあったようです。

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そもそも20の責任感が違うよね 元服するということは、責任があれば切腹も受け入れなきゃいけないということ 成人式で暴れてる連中にそんな度胸はないでしょ

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干支を一回りした歳が13歳になるわけですね。 数え歳で。 昔の子供は早死にが多く七五三を迎える子供も少なかった。 そこで干支を一回りしたら「お前も良く成長した」と公家・武士は元服したのですね。 13歳と言うのは固定でなく、その年の干支や占いの良し悪し、その地方の習わしもあるから~16歳ぐらいとおおよそです。 平均寿命は今が80歳で昔は50歳だから、昔の人は1歳が1.6歳分であったと変な学者がいますが、それは何の根拠もない嘘です。 犬や猫ではないんですから。 有名な方では、家康は73歳、高虎も74歳と高齢で無くなっていますし、江戸中期には80歳以上の「老衰ご褒美」を受けた武士・町人は少なくありません。 話に戻りますが13歳が大人ではなく、干支を一回りした記念の儀式なのです。

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