ベストアンサー
血は「穢れ(ケガレ)」につながるもので、かつて女性の生理は「不浄なもの」、汚いものとされていました(よくよく考えると失礼な話ですが)。 大相撲の土俵に「女性は上がってはならない」とかいう、時代遅れの言説がありますが、これもそうした「穢れ(ケガレ)」の考え方から来るものです。単に女性を、男たちの楽しむ場所から遠ざけるための「言い訳」でしかないんですけどね。 千尋が迷い込んだ「街」は、神様が集って休む場所であり、「穢れ(ケガレ)」を落とす場所でもあります。汚れ切った川の神様のエピソードは、千尋が成長したことを示し、子供がいざとなった時に見せる「頑張る力」を表現してもいますが、あの湯屋が「穢れ(ケガレ)」を落とす場所であることを示したエピソードでもあります。 大きな赤ちゃん=「坊」は、湯婆婆によって「穢れ(ケガレ)」から守られてきたので、血への耐性が無かったんでしょう。
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ID非公開さん
質問者
2020/8/14 11:57