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2020/9/6 1:50

55回答

中学生です。 前に塾でチラリと習ったのですが 昔、中国と韓国にも 日本で言うところの皇室があったと聞きました。 皇室という呼び名ではなく王室なのだと思いますけど。

中学生です。 前に塾でチラリと習ったのですが 昔、中国と韓国にも 日本で言うところの皇室があったと聞きました。 皇室という呼び名ではなく王室なのだと思いますけど。 でも今は中国と韓国に王様はいませんよね? いつまで王室があったのですか? なぜ無くなったのですか? 最後の王室のメンツは誰ですか? その子孫たちは今どうしているのですか?

補足

もしかして両者の皇室が滅びたのは、日本のせい? 日本が戦争で巻き込んだから?

中国史 | 世界史43閲覧

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<最後の王室のメンツは誰ですか? その子孫たちは今どうしているのですか?> 中国も韓国も君主が皇帝と名乗っていたので、王室ではなく、皇室です。 中国の王朝清の最後の皇帝だった愛親覚羅溥儀には、子がいませんでした。が、弟の溥傑には子どもがいました。溥傑の妻が日本人であったため、その子(女子)は現在日本に住んでいます。北京には、今も清の皇族がいて、書画などを教えたり、作品を売ったりして生活している人もいます。今の中国では、清の皇族は少し敬われる存在なようです。北京に旅行に行って、作品の販売会に案内されたのですが、現地ガイドに神聖な存在なので失礼のないようにしてくださいと言われました(演出?)。文革の頃とは大分変わってきているんだなあ、と思いました。最近の中国は伝統回帰なようです。 韓国の最後の皇帝には、日本人の妻との間に子(男子)が二人いました。日韓併合後、韓国の皇帝は日本に滞在していました。他の皇族達は、大韓帝国の首都だったソウルにそのまま住んでいた模様です。第二次世界大戦で日本が負け、本国が日本から独立しても朝鮮半島に帰れませんでした(韓国から帰還を拒否された。)。1963年にようやく韓国に帰れました。二人の子も一緒に帰って、韓国で暮らしました。ソウルに残っていた他の皇族とも親交していたそうです。大韓帝国の首都がピョンヤンかケソンだったら、皇族分断になったかもしれませんけど、ソウルだったので、分断はありませんでした。

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質問者

2020/9/6 22:44

なんと!両者共に日本人女性と結婚しててビックリ! 偶然ですかね? 国際結婚というのも驚き。保守的ではなく開けていたのですね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん回答ありがとうございました。

お礼日時:9/7 18:52

その他の回答(4件)

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2020/9/6 22:55

〉国際結婚というのも驚き。保守的ではなく開けていたのですね。 開けていたと言うか、政略結婚です。 恋愛結婚ではないし、お見合い結婚ですらなく、日本軍からの強制。 特に李方子さんのほうは、新聞により 「え?私って結婚するの?」と突然知ったくらい寝耳に水。 韓国のほうは菅野美穂、中国のほうは常盤貴子で、ドラマ化されていた気がします。

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2020/9/6 23:02

当時のニュース 〉2005/07/19(火) 朝鮮王室の唯一の直系子孫であるイ・グ氏が 今月16日、 日本の某ホテルで死亡した(享年74歳)という事実が明らかになった。 高宗(コジョン、朝鮮第26代王)の孫であり、 英親(ヨンチン)王(韓末最後の皇太子)の息子であるイ・グ氏は、 英親王と李方子(イ・パンジャ)女史の間に生まれた朝鮮王室の最後の嫡子だ。 全州(チョンジュ)李氏大同宗約院のある関係者は 「イ・グ氏の遺体はある日本のホテルで発見された」と話した。 この関係者は「ホテルの従業員が人の動く気配がないのを不審に思い ドアを開けたところ、トイレで死亡している状態だった」とし、 「心臓麻痺が死因ではないかと推定される」と話した。 1931年生まれのイ・グ氏は、 ウクライナ系米国人のジュリアと結婚、 1963年に一時帰国したが、 事業の倒産により日本に渡り、有田という苗字の日本人女性と最近まで東京で暮らしていた。

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李氏朝鮮王朝→大韓帝国 1910年まで朝鮮半島を支配した王朝。 基本的に中華帝国の属国(明→清)という立場であったが、日清戦争により清の支配から脱却、今度は日本の実質的影響下におかれたが、この際に名目上完全な独立国となり大韓帝国を称して国王は皇帝となった。 1910年に日本に併合されて消滅した。 最後の皇帝の純宗には子がなかったため、弟の李垠を皇太子とした。 日本に併合されたために純宗の死後、李垠は即位せずに皇太子のままでああった。 李垠は日本の皇族である梨本宮方子女王と結婚して2子を儲け、このうち成長できた次男李玖を後継者とした。 李玖は2005年に死去し、血縁のない養女しかいなかったことから、純宗と李垠の兄弟である義親王李堈の子孫の李源が死後養子となって家督を継いだ。 現在、李一族の大多数は李源を当主として奉っており、李源は当主として儀式や祭祀に専念している。 ところが李堈の一族の最長老である李海瑗や李錫は我こそが当主であると主張した。 2020年に李海瑗が亡くなったらしく、現在は李源と李錫のみが家督を主張している。 どちらも多少の名誉職に就きつつ一般市民として暮らしているもよう。 中華最後の王朝清(満州族王朝)は、その最終期、咸豊帝の側妃だった西太后が権勢を握り、息子の同治帝が19歳で死去すると、妹が醇親王奕譞(咸豊帝弟)との間に生んだ光緒帝が即位した。 やがて大人になった光緒帝は西太后と対立するようになった。 1908年光緒帝が亡くなると、なんと翌日に西太后も亡くなった。 西太后が死ぬのを見越して権力を奪おうとしたものが毒殺したとも、対立する西太后が自分が死んだ後に好き勝手させないために道連れに毒殺したともいう。 光緒帝には子どもがなかったので、甥にあたる溥儀が最後の皇帝として2歳で清朝皇帝に即位し元号から宣統帝と称された。 しかし1912年に辛亥革命により退位させられた。 1932年に日本が中国東北部に満州国を建国すると、溥儀は満洲国執政に招かれ、1934年に満洲国皇帝となった。 しかし1945年の第二次大戦の日本敗戦にともない、溥儀は捕らえられて満洲国皇帝を否定された上でソ連の捕虜にされ、5年後に中華人民共和国に引き渡された。 1959年まで戦犯として服役したのち、釈放、以降一般市民として1967年まで生きた。 溥儀には子どもがなく、すぐ下の弟の溥傑が愛新覚羅氏当主と看做されるようになった。 しかし溥傑には娘しかなくしかも娘は日本在住であったため、溥傑が亡くなると溥任が当主となった。 2015年に溥任が亡くなると、息子で地質学者の金毓嶂が当主となった。 ちなみに愛新覚羅は満州名の家名であり、中国名の家名では金を使用する。

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>皇室という呼び名ではなく王室なのだと思いますけど。 まず、皇室という言葉から理解していきましょう。 https://kotobank.jp/word/%E7%9A%87%E5%AE%A4 皇室とは、日本の天皇家(天皇や皇族)のことをまとめた呼び方です。 天皇とは、日本独自の君主号(君主の称号)です。 君主は、各国で称号が異なります。 代表的なものが、国王や皇帝になります。 君主が国王であれば、その一族を王家とか王室と呼びます。 https://kotobank.jp/word/%E7%8E%8B%E5%AE%A4 皇帝の場合は、帝室などと呼ぶことがあります。 このあたりの用語は、明確に決まっているわけではありません。 日本の天皇家を帝室と呼ぶこともありますので…。 一般的には、皇族と表現することが多いでしょうか。 >いつまで王室があったのですか? 朝鮮の場合、純宗が朝鮮王朝の最後の君主になります。 純宗とは君主としての称号(廟号といいます)で、 本名は、李坧でした。 https://kotobank.jp/word/%E7%B4%94%E5%AE%97 朝鮮王朝の君主は、基本的に王でした。 しかし、日清戦争後に、大韓帝国と改名し、 君主も王から皇帝にランクアップさせています。 ですから、最後の君主は王ではなく皇帝でした。 最終的に、韓国併合によって朝鮮が日本の植民地となった 1910年まで朝鮮には君主が存在したことになります。 https://kotobank.jp/word/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88 中国の場合は、清が最後の王朝になります。 清の最後の皇帝が、宣統帝です。 本名は、愛新覚羅溥儀と言いました。 愛新覚羅は、アイシンギョロと読みます。 清の皇帝たちは、漢民族ではなく満州人(満州族)という異民族でした。 https://kotobank.jp/word/%E6%BA%A5%E5%84%80 宣統帝の溥儀は、映画の「ラストエンペラー」で有名な人物です。 幼くして清の皇帝に即位しましたが、すぐに辛亥革命が起きて 退位させられました。 ですから、1911年まで中国には君主(皇帝)が存在しました。 その後、共和国の中華民国が建国されましたが、 1916年に一時的に、袁世凱という独裁者が皇帝に即位しようと しました。 しかし、反対が多く帝政を断念してしまいました。 ですから、袁世凱が最後の皇帝なのかどうかは微妙なところです。 >その子孫たちは今どうしているのですか? 中国も朝鮮も、共和制の国ですので、貴族や皇族のような身分が 存在しません。 ですから、かつての皇族や王族も一市民として暮らしているはずです。

>もしかして両者の皇室が滅びたのは、日本のせい? 中国の愛新覚羅氏に関しては、日本は直接関係していません。 辛亥革命という漢民族が起こした革命で、清朝が滅び、 愛新覚羅氏は皇帝家で無くなりました。 最後の皇帝の溥儀に関しては、その後、日本の支援の下で 満州国の皇帝になりました。 満州国は日本のあやつり人形のような国でしたので、 日本が戦争に負けるのと同時に滅亡しました。 溥儀は、二度も皇帝をやめさせれた歴史上珍しい人物 ということになります。 朝鮮王朝は、日本に併合されたわけですから、 日本に征服され滅亡したということになります。 皇室(王室)が滅びた、と質問にありますが、 実は、朝鮮の李氏も、中国の愛新覚羅氏も、 別に滅んでいません。 王朝が滅亡し、君主で無くなったわけですが、 別に一族が皆殺しにあったわけではないため、 王室そのものは滅亡していません。