、 「死ぬ」のこわいですよね?

、 「死ぬ」のこわいですよね? 最近、「死」について、たまに考えるようになったのですが、 別に、じ◯つ願望があるわけでもないのですが、 20代の頃は、「死ぬ」のがまったくこわくなかったのですが、 30代になって「人間、みんないつかは死ぬんだな」って思うと なんだか、こわくなってきました。 人間の人生って「楽しい」とか「きつい」とか「大変」だとか、 たまに、嫌なこととかもあるけれど、 30代になると、人生、「嫌な出来事」とかも含めて、 「楽しいんだよな」って思えるようになってきました。 だって、死んじゃったら、 「嫌なこと」も「楽しいこと」も「睡眠」とかも、 何も経験できなくなっちゃうんですよ! 死んだら「無」になっちゃうじゃないですか。 「天国」も「地獄」も無い、 「無」になっちゃうんですよ! 若い身体のままいられるなら、 200年くらい生きてみたいですよね? 1000年くらい生きてみたいですよね? お歳寄りの人がよく言ってる、 「70年なんて、あっという間だよ!」って言ってたのが 最近、お歳寄りの人たちの言ってる意味がわかってきました。w きっと、70年なんて、あっという間なんでしょうね。笑 やっぱり、「死ぬ」のは、こわいですよね? 嫌なことさえ経験できない「無」になっちゃうから! 皆さんも、本音は「死ぬ」の、こわいですよね? やっぱり、「死ぬ」のは、こわいですよね? 、 真面目な質問なんで、 なるべく真面目な回答、よろしくお願いします? 気楽な回答でも、いいですけど。 、 、 、

生き方、人生相談 | 哲学、倫理110閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

ベストアンサー

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わたしも 死が こわいです よくわからないけど 理由は ふたつみたい 二回 死にそうになったから とても こわくなりました 死んだら 逢いたいひとに 逢えなくなる さみしいから こわい 逢えなくなる ほうが つらいかな わたしは あまり 長生きしたくないです たいせつなひとを 見送るのは つらすぎます・・ いしきしてないひとも いるとおもうけど みんな 死は こわい とおもってるのかな とおもいます

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん、ご回答有難う御座いました! 

お礼日時:9/20 8:07

その他の回答(11件)

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生きてたいからこわいんじゃないのかな

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僕は全く逆の考えです。 終わりが無いなんて考えられません。 理由も説明されずにこの世界に産み落とされて、よく分からないけど受験、就職、結婚などやんわりとやらないといけない事が設定されていて、それに進んで行くごとに大きな苦しみや辛さに立ち向かわないとなりません。 立ち向かわずに引きこもれば将来の不安に苛まれるなか、ニートだなんだと言われて軽蔑の眼差しで見られます。それもまた苦しい思いの一つでしょう。 だからといって自殺をする勇気がなるべく出ないように人間の体はプログラミングされています。 途中喜ばしいこともありますがそれでも基本的には辛い、面倒だな、早く終わってくれないかなと思ってしまいます。 ならばいっそ、思考する能力のない動物に生まれ変わるか、「無」になった方がよっぽど良いです。 そもそも思考するという能力が無ければ楽しいや悲しいという概念自体が無いのでこの質問のような悩み自体も発生しません。 まぁただ強いて言うなら苦しい死に方は嫌ですね。 でも基本的には僕にとって「死ぬ」というのは宝くじにあたるみたいなもんです。

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一人称の死は怖くなく、死んだ自分はいなくなっているからです。死ぬのが分かってから死ぬまでが怖いのだと思います。その間も、如何に死ぬかを考えて、感謝の気持ちを持って、一所懸命に生きるしかないと思います。

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そりゃ、そうですね!w 死んでしまった後は「無」だから、 悲しい感情とかも無いですしねw 生きてるからこそ、 生きてるうち「死」がこわいのですね。w  有難う御座います。

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死ぬのは自然なことですし、みんな死にますし 怖くはないです

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宗教の経典や聖書や文献に記されているあの世の風景は、 この世のそれをほとんどそのまま持ち込んで それを理想化したものです。 ・キリスト教の天国の描写・ ⋯⋯新約聖書ヨハネの黙示録より 玉座があり上に座っている方は、碧玉や赤めのうのようである。 玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いている。 また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っている。 玉座からは、稲妻、様々な音、雷が起こる。 また、玉座の前には、七つのともし火が燃えている。 また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようである。 この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいて、前にも後ろにも一面に目がある。第一の生き物は獅子のようで、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようである。 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目がある。彼らは、昼も夜も絶え間なく「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」 と言い続ける。 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門がある。 都の城壁には十二の土台がある。 この都は四角い形で、長さと幅と高さが同じで、天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンである。また、城壁を測ると、百四十四ペキスである。これは天使が人間の物差しによって測ったものである。 都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金である。 都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られている。 第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶である。 また、十二の門は十二の真珠であり、どの門もそれぞれ一個の真珠でできている。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金である。 水晶のように輝く命の水の川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実を実らせる。 そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。 神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。 神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治する。 バラモン教の経典ヴェーダ文献によれば、 最高天は「光明、緑陰、酒や美食、歌舞・音楽に恵まれた 理想郷として表象されている」(中村元『ヴェーダの思想』P349)

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