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2020/9/15 22:50

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劉備は、知に置いては、伏龍諸葛亮、鳳雛龐統、武に置いては、関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲を抱えていました。

劉備は、知に置いては、伏龍諸葛亮、鳳雛龐統、武に置いては、関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲を抱えていました。 魏や、呉など、恐るるに足らぬ陣営であったのに、不覚をとったのは何故ですか?

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その者らが生きている時は、益州荊州漢中も押さえ、間違いなく蜀の最盛期です。 誰も不覚は取っておらないように見えます。 ただ、荊州という土地が三竦み状態なので いつどこの所属に切り替わっても仕方ない状態でした。 なので無闇に動いた関羽がもしかしたら戦犯なのかもしれません。 それは呂蒙が上回っただけで仕方ないとかの意見もあると思いますが、やっぱりそんな危なくも重要な州を軽んじて攻めに転じたのは浅はかだと思います。 もう三国しかないのですから、局地戦を勝つだけの半端な名将は要らないのです。 国家単位で指導力あるもとにきちんと遂行できる良将でよいのです。 国家単位の争いですから、輜重、兵隊、軍略 これらも国家単位で計算のもと動かなければいけません。 その計算は諸葛亮は立てていたと思いますが 沿わぬものもいた、よって崩れた。 これに尽きると思います。

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それは三国志演義での話であって、正史三国志では人材に関しては曹操軍の方が優れた面子が揃っていました。 国力と領土に関しても曹操軍に劣っていて、関羽が荊州を失ったことによって、孫権軍にも劣ることになります。

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それは三国志演義という作り話だからです。 史実では魏や呉の武将の方が遥かに優秀です。

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孔明と龐統と法正、関羽と張飛と馬超と趙雲くらいしかいなくて。 あとロートルの黄忠を前線に出す。 そんな貧弱な面子でした。 後に、姜維が加わるが。 ただ、北伐なんかせず守りに徹して。 富国強兵、産めよ増やせよ としてれば、魏や晋が攻めて来ても、なかなか攻略出来なかったでしょう。 後の宋王朝が、南宋として生き延びたような感じなったでしょう。