レイルウエイライターであった種村直樹さんをどう評価しますか。 若いころは鉄道ジャーナル誌列車追跡シリーズなどで活躍されました。 私とは父子までは行きませんが年齢は離れています。

レイルウエイライターであった種村直樹さんをどう評価しますか。 若いころは鉄道ジャーナル誌列車追跡シリーズなどで活躍されました。 私とは父子までは行きませんが年齢は離れています。 初期のころは筆も鋭く生き生きとしたルポを、毎回楽しみに読んできました。 いろいろなところでペンネームも含めお書きになっていた様です。 しかし、失礼ながら、いつごろからか筆がおかしくなったのか、個人の考え。文句のようなはなしが増え始めた。ご本人が50歳ぐらいのころかと思います。 がぜんつまらなくなりました。こちらが成長したので、種村氏の価値観と並んだせいもあると思います。 故人のことをとやかく言うのは何ですが、種村氏の評価は皆さんいかがでしょうか。

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ベストアンサー

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一言でいえば、「悪い意味で歳をとってしまった」でしょう。人間の「あるある」の代表の一つです。 晩年にくも膜下出血が発病したことにもつながるかと。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

氏の50才すぎぐらいから、論調・作風も変わりきらいになりました。作家となったので、自分勝手が出ただけなんですね。 ルポ記者としては超一流、作家としては三流でしたね。 皆様のご回答も、その点には触れていらっしゃいました。ありがとうございました。

お礼日時:9/18 22:51

その他の回答(5件)

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氏は、民営化はともかく、分割反対論の色がありましたね。 分割あたりから、変化したのではないでしょうか? 氏の手紙の悪筆は有名ですね。読めません。 草書とも違う崩し方で、読めないです。

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読者と直接の質問のやり取りをすることで、手紙を書くマナーや、また「自筆で手紙を書く」ことの大切さなどを、教わったと思います。 氏の葬儀に出席した際、待合室にいる間、隣席の人(もちろん初対面)同士の会話も和やかで、氏を通しての「横のつながり」の広さを感じました。 質問文にもあるように、個人の考えや文句に近いようなものもありましたが、読者からの一方的な質問(質問にもなっていないこともある)に対する苦言をはっきり述べているのは、ある意味共感できます。 むしろ今の知恵袋の質問には、もっと自己中心的な質問や、基本的なことも分かっていないような内容もあり、もし氏が御存命だったらどのようなことを仰るでしょうか、と思うこともあります。

ありがとうございます。 私は種村氏と直接のやり取りはありません。しかし批判しているのではありません。基本的にきちんとご自身のご意見を表現されているのは好きでした。 ただ、晩年は矛先がやや私と違うとは思っています。

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私も種村直樹氏の汽車旅相談室は欠かさず読んでいました。作品はやはり50歳を出てから作風が変わりました。ルポルタージュから社会に対する自分の考えを主張したものになりましたね。やはり、国鉄民営化が大きな転機というか、1980年の法案可決から、特定地方交通線の廃止など、昭和末期はまさに激動でしたから。ただ、汽車旅相談室について言わせていただくならば、読者からの自己中心的な意見に近い質問や国鉄(JR)に対するクレーム的なものが多くなり、読んでいる私の方が腹がたつものもありました。当然種村氏もご立腹だったはずです。

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ありがとうございます 種村氏のお考えの転換期はやはり50歳ごろだったようですね。いつまでもルポ作家じゃないぞと個人主張を始めてから、言ってることがつまらなくなったと思います。 現場の始点が離れたからなどと評論するのは可笑しいですかね。

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いい人でしたよ 晩年は色々あったと聞きますが、惜しい方を亡くしたと思います

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個人的にご存じなんでしょうか? 元新聞記者ですから氏のきちんとした描写が好きで、ああいう文章が書きたいと常にイメージしていました。 氏が50過ぎごろ若者が種村先生と慕ってくるころから、描写もおおざっぱになり、人生訓的な表現が増えてきたように思います。