日本史の教科書に「明治時代、1880年代前半に松方財政が展開され、一時はデフレと不況が深刻となったが、貿易が輸出超過に転じ、、、」とあるのですが、どうして輸出超過になったのですか?

日本史の教科書に「明治時代、1880年代前半に松方財政が展開され、一時はデフレと不況が深刻となったが、貿易が輸出超過に転じ、、、」とあるのですが、どうして輸出超過になったのですか? 私は、治外法権の撤廃や関税自主権の回復を成し遂げ、条約上ではありますが、列国と同等の地位を獲得することが出来たからだと思ったのですが、これで合っていますか?それとも別の理由があるのですか? どなたか分かる方がいらっしゃいましたら、ご教授願います。

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1868(明治元)年から、40年間の統計を調べてみました。 すると、1882(明治15)年だけ、一瞬、確かに輸出が上回っています。 その原因を見てみると、輸出第1位の茶ほかの輸出額等が伸びたのではありませんでした。 原因は、この年と翌年の“輸入額の低下”が、もたらしたモノです。 結局は、デフレで国内購買力が低下(海外のモノが不況で買えない)したために、輸入が減ったというのが理由です。 なので、景気が安定してくるとまた輸入は増加し、明治時代はなかなか全体として“出超”とはなりませんね。 ただ綿糸については、大阪紡績会社の大成功が切っ掛けで企業勃興期に入り、日清戦争の前後ごろ(1890年代後半)には、“産業革命を”日本は達成します。 そんなんで紡績業に限れば、輸入を輸出が上回っていきますね。 つまり、“機械による綿糸の国内生産高”が、輸入を上回ったのが、日清戦争前の1890(明治23)年! そして“輸出高”が輸入高を上回ったのが、1897(明治30)年の、日清戦争終了の2年後でした。 こんなんでどうですか(^^)/

ThanksImg質問者からのお礼コメント

返信が遅くなってしまい申し訳ございません。 分かりやすく丁寧に説明して下さりありがとうございました。 この年と翌年の輸出額が低下したから、相対的に輸出超過になったということですね。

お礼日時:9/24 23:55

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簡単に言えばデフレで市場の規模が縮小したので、相対的に輸出が増えたからです。 これに加え、金の価値が上がり銀の価値が下がったため、銀本位制だった日本の円の価値が下がった、つまり円安が起きたので、相対的に増えた輸出をさらに促進させた形になります。