田んぼの底は粘土質になっており水がたまるようになっているらしいですが、田んぼを作る経験をしたかたはおいでますか?

田んぼの底は粘土質になっており水がたまるようになっているらしいですが、田んぼを作る経験をしたかたはおいでますか? 粘土を運んで田んぼを作ったりもあるのでしょうか?それとも地盤的にそもそも粘土質が必ずあるものなのでしょうか? 「田んぼ」というものが昔の人がどれくらい頑張って整えたのかを知りたいです。

ベストアンサー

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長い年月の間に作られた粘土質の硬い層です。 田植のため、田に水を入れ土とこねて柔らかくすることで、土の中に含まれる細かな粘土が水中に浮遊します。代掻(しろか)きなどの際に耕具で土壌に圧力が加えられることによって次第に硬い粘土の層が作られていきます。 鋤床層(すきどこそう)と呼ばれます。 扇状地や海岸付近では、小石や砂が多く鋤床がつ切りにくいので、水田を作っても保水力が乏しく、コメの生産に適しません。 新しく水田を造成する場合には、重機などで地面に圧力をかけたりして地盤を固めます。 新しく、水田を作った場合の作業が掲載されています http://www.schoolaidjapan.or.jp/staff/pdf/farm/13.pdf

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

詳しくわかりやすい説明ありがとうございました!

お礼日時:10/1 10:16

その他の回答(4件)

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確か、「二宮金次郎」の逸話で、そんな話、「水はけの良すぎる砂地を安く買い取って、粘度を敷いて田んぼにした」なんてのがありましたが、普通はただ「水」を確保するだけです。 ともかく、「水田開発」の歴史は一様ではありません。 ただ、日本は「高温多湿」でさらに「多雨」なので、継続的に「水」さえ確保できれば、多くの土地は「水田」に変えられます。 というか、「関東」で言うと、「台地」は広大ですが、こういう所は「関東ローム層」という「火山灰」なんで、水はけが良すぎて「水田」には向きません。 でも一方「水田としての水」も確保できませんから、こういうところを「田んぼにしよう!」という奴はいないんです。 でも、河川流域などは、流水により「粘土質」が溜まっている、こういうところに「治水」をして「田んぼを作る」というのが、「日本の水田」の基本で、そういう「耕地」を広く確保できるところが「米作地帯」として豊かな土地なんです。 逆に言うと「関東平野」がずっと「貧乏」だったのは、「水田」が作れるような土地がほとんど無かったからですね。 ご存知でしょうが「江戸」というのは、「幕府」が出来て、大規模な「土木工事」を繰り返して「大改造」したから「大都市」になれたんで、元は「井戸を掘れば塩水が出る」という最低の土地だったんです。 逆に「台地」に上がると、簡単な「浅井戸」では水が出なかったりします。 つまりは、「日本では、水田が作れそうな土地では、ほぼ粘土質はある」と言って良いと思います。

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数年前、実家の田んぼが水害に会い、壊滅的な被害が出ました。 元の田んぼの区画も解らないように、表面の土砂が持っていかれ、一面河原の様になっていました。 角が取れた岩でしたので、昔の人が、河原を埋め立てて、田の作ったのです。 土は、最初は山土などを持ってきて、水が漏れないように固めたのですよ。

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陶芸家が使う様な粘土ではありません。 水を張って代掻きすれば、土の微粒子は下に沈殿します。 それが何十年も積み重なり、水が簡単には地下に浸透しないだけです。 重機なので掘り起こせば、殆どの水田の底はカキ殻と潟ですね。 農家。

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昔の日本の農家で、土を掘って、大量の粘土を持ち込んで....って作業ができたとはとても思えません。 長い歴史の中で、いろんな土地にいろんな作物を植えて、その中でうまく育つ作物を中心に作るように長ーーーーい歴史のなかで徐々に、水田の適地に水田が集中するように、寒暖の激しい地域にはそれに適した作物が、乾燥地にはそれに適した作物が....ってなっていったんだと思いますよ。 例えば魚沼コシヒカリと新潟の平野のコシヒカリではだいぶ品質が違いますが、これは魚沼の地域が粘土質の地盤で、平野と地質が異なっていることにより、コシヒカリに品質も違ってくるらしいですが、そんなのは結果論としてそうなってるだけだと思います。

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