ベストアンサー
>項羽と項王は同一人物ですよね? その通りです。 項王とは肩書で呼んでいるわけです。 (現代でも、○○部長とか○○先生と呼ぶようなもの) 他には、沛公=劉邦のことです。 >項羽が怒った理由 そもそも、劉邦が先に関中に入ったことに不満を持っていました。 https://kotobank.jp/word/%E9%B4%BB%E9%96%80%E3%81%AE%E4%BC%9A 項羽と劉邦は、秦に反乱を起こした楚の国の将軍でした。 楚の王は、二人に対して、先に関中に入ったものを、 関中の王とすると約束していました。 関中とは、秦の都・咸陽の周辺地域のことです。 函谷関の内側くらいに思ってください。 https://kotobank.jp/word/%E9%96%A2%E4%B8%AD 項羽は、楚の名将・項燕の孫であり、名門出身のプライドの高い 武将でした。 一方、劉邦は農民の子で、無頼上がりの成り上がり者でした。 項羽は、劉邦を見下していました。 実際に、項羽軍と劉邦軍を比べれば、圧倒的に項羽軍の方が 強かったと思ってください。 なのに、なぜか劉邦の方が先に関中に入ってしまいました。 項羽は、劉邦のくせに生意気だ、と思ったわけです。 これが項羽の怒りの原点です。 >范増が項羽に沛公殺せと言っても 范増(=亜父)は、項羽の知恵袋(軍師)でした。 范増は、劉邦を有能な人物とみなしていました。 項羽が天下を取るための最大の障害になる存在だと思っていました。 だからこそ、鴻門の会を利用して、劉邦を暗殺すべきだと 考えていたわけです。 ところが、項羽は、劉邦をそこまで高く評価していませんでした。 別に殺さなければならないほどの強敵と思っていませんでした。 だからこそ、自分に謝りに来て、情けない姿を見せている劉邦は、 全く恐ろしくない人物としか思わなかったのです。 もともと、劉邦を見下していた上に、鴻門の会で対面したときも 情けない姿を見せていたわけですから、自分のライバルとはとても 思えなかったわけです。 だからこそ、許してもかまわないという気持ちになっていったわけです。
質問者からのお礼コメント
とても分かりやすかったです! ありがとうございます!
お礼日時:2020/10/2 2:03