弓と馬具について教えて下さい。

弓と馬具について教えて下さい。 [1]弓について。 だいぶ以前の事ですが、NHKの歴史番組で、元寇の折、モンゴル軍の弓は半弓で速射が出来る点が日本の大弓より優れていた、と解説していました。 モンゴル軍の弓が和弓よりも優れていたのならば、その後の日本で、どうして半弓が主流にならなかったのでしょうか? 元寇の後、日本では、元弘の乱、南北朝の騒乱、戦国時代と、戦乱の世が続きます。 その時代に、どうして誰かが、大弓を捨ててモンゴル風の半弓を用いなかったのでしょう? 戦国時代の終盤になると、弓は鉄砲に戦場での主役の座を譲る事になりますが、江戸時代以降も、弓は武士のたしなみとされて、大弓は、現代の弓道にも受け継がれています。 数年前にTBSの『ウルルン滞在記』でもモンゴルの弓を紹介していて、日本人の弓道経験者のレポーターがモンゴルの流鏑馬に挑戦していましたが、確かに、モンゴルの弓の方が、速射に優れている様に思いました。 [2]馬具について 馬に乗るには、鐙(あぶみ)に足を乗せます。 現代の乗馬では、ブリティッシュ式の輪の様な形状の鐙が主流だと思います。 古代の騎馬民族が用いた鐙も、輪になった形状のものであったと思います。 ところが、足利尊氏図像(一説に高師直とも)などを見ると、日本の騎馬武者は、長舌鐙という独特な形状の鐙を使っています。 長舌鐙は、12世紀ごろに出現して、それまでは、スリッパの様な壺鐙が使われていた様です。 どうして、日本の武士は、輪状ではない独特な形状の鐙を使ったのでしょうか? よろしくお願い致します。

補足

ご回答、ありがとうございました。 大弓の方が半弓より威力がある事、大弓が日本に馬が入ってくる前から存在してヤマトタケルの時代から使われていた事、モンゴル軍が通常は騎馬中心なので半弓の方が取り扱い易い事などは分かりました。 でも、それならば尚更、日本の武士道、"弓馬の道" の基を築いた八幡太郎義家などは、どうして馬上で大弓を使い続けたのでしょう? 弓は、イングランドのロングボウの様に専ら弓兵に使わせて、騎兵は半弓を用いる、あるいは、騎兵は弓を用いずもっぱら槍などの打突武具を使用するなどの分化があっても良さそうなものではないでしょうか? 現に、鉄砲は、もっぱら足軽が使用する武器という認識が武士階級にはあって、幕末に諸藩で兵制改革が行われた際には、武士たちが、鉄砲を使う事に「足軽の武器なのに」と抵抗したという逸話も聞きます。 それに対して、弓は、「武士のたしなみ」として、鎌倉期も江戸期も、武士たちに鍛錬が推奨されて、現代の弓道にまでつながりました。 馬上で扱いにくいはずの大弓を日本の武士が使い続けた事と、日本の馬具が世界に類例の少ない独特な形状である事とは、関係があるのでしょうか?

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ベストアンサー

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鐙は分かりませんが、弓について。 モンゴル軍の大半は、騎馬でしたので、 馬上で扱いやすい「半弓」「短槍」が多く用いられました。 速射性に優れているのも、半弓のように弦を絞る力が 少なくて済むからです。馬上では、日本の弓のような全身を 使っての動作は取れませんので・・・。 日本で半弓が普及しなかった理由は、 大弓の方が、射程が長く威力があった事と、 モンゴル軍と違い、歩兵の割合が大きかったからです。 歩兵だらけの日本で、半弓を用いていては、 敵が間近に接近するまで射撃する事が出来ず、 威力も弱いので、戦闘に向きません。 モンゴル騎馬隊は、接近してからの射撃であったため、 半弓で十分に戦う事が出来ました。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様、ありがとうございました。 弓について、馬具について、それぞれに意義深い回答を頂きましたが、弓と馬具の関係については、遂に回答は得られませんでした。 眠れる山猫さんからは、最初の回答を頂きましたので、BAとさせて頂きます。

お礼日時:10/24 13:50

その他の回答(4件)

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それは、団体戦と個人戦の違いですね。 何処でしたっけ? 確か檀の浦の戦い?か何かで、 誰かが、扇子を弓で打ち抜いた事がありましたね? 日本では長らく、武士本人の名を上げる、のが大事だったのです。 織田信長やモンゴル兵団は、団体戦なので、鉄砲であれ弓であれ、 速射・多射、が大事だったのでは?

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簡単にいうと、連射力で劣る以外、射程も威力も精度も遥かに上回っていたからです。国内戦においてその高威力の大弓を防ぐため日本武士の鎧甲冑は独自の進化を遂げており、モンゴルの重装騎兵が身につけていた鎧甲冑よりも軽くて強靭で短弓では大したダメージを与えられない代物になっていたのです。その鎧甲冑を身につけ、馬上で弓を引き世界最強の蒙古軍に完封勝ちしたのですから改める理由はそもそもありません。NHKの解説が見当違いなのです。

回答ありがとうございます。 蒙古軍を撃退したのだから、日本の武士は凄いですよね!! 日本の大弓は、イングランドのロングボウなど、類例の少ない大きなサイズです。 日本の武士が、騎馬でこれを扱えた秘密は何だったと思いますか?

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なかなか興味ある秀逸な質問ですので調べてみました。 鐙に関してはこのような記載がありました。 『日本国語大辞典 第1巻』(第2版)(112250161)p.491「鐙」の項に、「わが国には古墳時代に輪鐙が伝来したあと、5世紀以後には壺鐙が使われるようになる。これは落馬に際して足が鐙に引っ掛かるのを防ぐために爪先部に覆いを付けたものだが、戦闘的というよりは装飾的な性格が強い。奈良平安時代になると、踏みやすいように短い舌を付けたわが国独特の半舌鐙が作られ、平安末期には踵まで乗せることができる舌長鐙が生み出されて、以後江戸時代まで長く使われるに至る。明治以降は輪鐙の一種の洋鐙が用いられている。」との記載あり。 落馬時に足が鐙に引っ掛かり引きずられるのを防ぐためだったようです。

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倭弓は、日本に馬が入ってくる前から存在していました。 ヤマトタケルの時代から、あんな長い弓だったのですよ。 なので、馬が入ってきてから、馬上での弓の取り扱いは難しく、馬上で弓を射る流鏑馬こそ、鎌倉時代の武士の習い事でした。 短弓と長弓を比較すると、弓を引く長さが短弓よりも圧倒的に長く、放った矢にも威力があります。矢も、引き絞れる長さに応じて、長く重く、威力があります。 なので、短弓と日本の長弓の威力を比較したら圧倒的に、日本の弓ですよ。

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