ID非公開

2020/10/25 17:56

88回答

モンゴル軍に日本が勝ち、ドイツやポーランド、ロシアが負けたのは、日本は白兵戦で戦い、西洋は騎馬戦で戦ったからですか。

日本史 | 世界史63閲覧

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

ThanksImg質問者からのお礼コメント

勉強になりました。他の回答者の皆さんもありがとうございます。

お礼日時:10/29 22:44

その他の回答(7件)

1

日本にやって来た元軍でモンゴル人は弘安の役で150人程度で単なる目付役 モンゴル人は馬から降りて戦う下賤な歩兵はやらない (歩兵は捕虜や被征服地の農耕民の仕事で使い捨て) だいたいモンゴル本軍が12万9000ぐらいしかいない モンゴルと同様のキプチャクなど遊牧民を含みモンゴル軍の主力は編成され 日本のようなどうでもいい目標よりクビライに取り強敵のカイドゥに対して主力は投入されている 近代的な上陸用舟艇が使えるわけではない 大船から小舟に乗り替えて長い時間をかけて上陸せねばならない しかも上陸できる砂浜などは僅か 馬なんて海を恐れる為、船に乗り込ませるのに一苦労だし、小舟に移すのも暴れただろうしかなり困難 それに元寇での元軍の半数は戦闘に加わらない船員だ しかも日本遠征軍にはベトナムに遠征した名将ウリャンハタイやクビライの子トゴンなど名の通った将帥がいたわけでない 白兵戦? ポニーに乗った重装備の弓騎馬武者で当時は馬上槍すらなかった どうやって戦うの? 対馬、壱岐では日本側は壊滅している (上陸地点の少なさ、狭さ、渡来した船などを考慮すると上陸した兵はかなり誇張されていると見てよい) 狭い博多湾に多数の船が犇めき合う様子で 気象変動により衝突などで船の多くが沈没、損傷して撃退されたのは明らかでしょう だいたいベトナムのように高級指揮官のウマル以下多数の元兵を捕虜にしているのに 四周が海で船がなければ逃げられない日本で殆ど元兵を捕虜にできなかったのことでも戦闘による勝利でないのは明らか だいたい夜陰に紛れて敵船に乗り込みどうやって船を沈めるのですか? 船底にドリルで穴をあけたとか? 先も述べたように博多湾に多数の船が密集している中、密かに潜入なぞ出来るわけがないし ヨーロッパではモンゴル軍はオーストリアのノイシュタットで敗れ撃退されている ベトナムでも巧みな戦術により三度撃退されている そもそも高麗を制圧するまで7~9回遠征してようやく制圧している

1人がナイス!しています

0

そんな単純な問題ではない。 第一、元寇で日本軍が戦った相手は、モンゴル騎兵ではない。モンゴル人司令官に指揮された朝鮮半島やかつての宋から徴発された兵だ。

0

間に海があったので馬を多量に送れなかったということが大きいですね。 それとモンゴル軍といっても、日本に来たのは南宋の投降兵や半島から動員された兵士なので、モンゴル兵士の割合はそれほど大きくないですね。

1

文永の役では日本の武士は歯が立たなかったようです、 集団戦に完敗でした。 ただ元が実力を見せて交渉を有利に運ぶための前哨戦としていて、すぐ引き上げてくれたので助かりました。 山に逃げ込んでなすすべが解らなかった九州武士団は一から戦略を練り直すことが出来たのです。 薙刀しかなかった日本の武器に、元の兵隊が使っていた槍を取り入れたのです。 馬上から使うにも便利で、馬上の敵を倒すにも有効だと考えたようです。 元の弓矢は短距離用で、日本の弓の方が射程距離は遠かったことで、上陸されて集団戦法をされると強いことが分かったので、上陸させない先方に切り替えたこともいい作戦でした。 日本の鎧は竹で胴を保護していました、弓矢が刺さりにくいものだったことも幸いでした、弘安の役で日本の武士が勝てたのは十二分に戦略を立てていたから勝てたのです。 ベトナムが元を撃退できたことも日本の戦法が流布されていたからと言われています。

1人がナイス!しています

1

単純に日本側の動員兵力がモンゴルと交戦したヨーロッパの国々、アジアの国々と比較して尋常なものではない。 元朝側が「今まで戦った中でおそらく最強の敵」と記しているように、日本が疲弊した南宋やヨーロッパの国々より国力で上回っていたんだと思う。ぶっちゃけ弘安の役とか「史上空前、類をみない大艦隊」とかいって送り出してるのに、日本は鎌倉の主力武士団が到着する前に九州武士団だけで元軍に完封勝ちしてるからね。 モンゴル帝国の大遠征の中で日本遠征が間違いなく一番金と手間かかってるのに、あそこまで大敗したら、フビライも第3次征伐は断念しますわ。むしろ、元軍は海を越えての大遠征という不利の中でよく戦ったと思う。

1人がナイス!しています