夏目漱石の『こころ』の作品での質問です。 この作品のなかで唯一「静」だけ名前が出されていますが、その意図はなんですか?
夏目漱石の『こころ』の作品での質問です。 この作品のなかで唯一「静」だけ名前が出されていますが、その意図はなんですか? 静という名前にした理由は乃木希典の妻の名前が静子だったことからなのではないかちう事は分かったのですが、なぜわざと妻の名前を出したのか分かりません。 会話文の中でしか使われていない所を見ると、あまり意味が無いものなのでしょうか? 参考にしたいので意見を聞きたいです。よろしくお願いします。
ベストアンサー
乃木大将と一緒に殉職した奥さんが静子さんという名前だとは知りませんでした。面白い着眼点だとは思います。 ちなみにもう一人実名が出ているのをご存じですか? 『中_両親と私』の16章で病床の父親が妻に”お光” とやさしく語り掛ける場面があります。 意図するところが有るのかといえば、無いのではないかなとわたしは思います。当時、妻が夫を名前で呼ぶことはないですが、夫が妻を呼ぶときは名前で呼ぶことも多いため結果的に二人の奥さんの名前がでてきたということでしょう。名前であり、しかも家に入った女性なのでイニシャルや伏字にする必要がないと思ったのでしょう。ここには当時の女性を低く見ている風潮が伺えるかもしれません。 さらに”静”と言う名前に深い意味が有るのかというと、これも無いのではないかと思います。漱石はそういう仕掛けをやらないと思います。無名の”猫”氏に始まり各作品登場人物のネーミングには凝っていません。初期には若い女性ヒロインに那美、藤尾、美禰子などありますが、中期以降はシンプルで平凡な名前ばかりです。そもそも自分の子供の名前さえたいして考えた様子がありません。 ちなみに統計資料にもよりますが、静子という名前は明治大正時代の女性の命名でかなり上位です。トップの年もあります。 1914(大正3年) 1位 静子 2位キヨ 3位千代子 4位ハル 5位きよ https://meotalk.jp/life/10602#1914_3 執筆当時(1914年)のありふれた名前を選んで”子”を外しただけのように思えます。(”お光”さんも「三四郎」にも出てくる名前ですし、当然意味はないでしょう。) ちょっと付け加えると、『坊っちゃん』に出てくる”清(きよ)”という名前は、漱石の奥さんの本名キヨからとったのだと何度も繰り返し主張する人がいますが、漱石作品で、清(子)は『吾輩は猫である』から『明暗』迄何度も使われます。当時は”きよ””清子””キヨ”も非常にありふれた女性の名前だったということを頭に入れておくべきです。また、同じく”千代”という名も漱石作品では頻繁に使われます。
質問者からのお礼コメント
回答ありがとうございます!自分の考えの中で1番納得がいったのでベストアンサーにさせていただきます。 中でもう一人実名が出ていたことは見逃しておりました。ご指摘ありがとうございます。 深い意味がないという考えがあること、静子はありふれた名前であったことは考えてもいませんでした。ありがとうございました!
お礼日時:2020/10/31 19:39