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2020/11/19 11:47

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中国で文化大革命がおこった時に知識があるはずの学生達が毛沢東に従ったのは何故ですか?

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文化大革命の評価を、西側の民や現在の中国政権の目で見ると誤ります。 リアルタイムで見ていたものとしては、社会主義の永続革命の一環であり、生産力や知識の量より、指導者への忠実さが高く評価されたのは、不思議でも何でもない。 学生だって教養や知識の詰込みより、早く革命の一線に出たかったのです。 文革が学生や高校生に呼び掛けた、毛の実権派への権力闘争だったとは一面的な観点で、周恩来が司る政府機関は中立で、学生らを支援した。 本来は中立のはずの軍と秘密警察、これが余計な波を建てから、何百万人も死ぬ内戦に発展するのだ。それと紅衛兵内の内ゲバ。大方は、親が実権派の学生たちが「毛沢東主義の旗を立てて、毛主席に反対する」方針をだしたから。 とにかく百花斉放百花繚乱状態になったから 学生たちを農村へ下放したのでそうでないと、このベビーブーマーが失業禍を引き起こしたろう。学校で勉強していないのだから。 紅衛兵たちにとっては、腕章や毛沢東語録を持っているだけで、鉄道に乗って他都市へ交流にでかけ、政府が提供するただ飯を食えたのだから、楽しいピクニックだった。 文革までは家や学校で「年長者だ」と威張っている旧世代を、「儒教の旧弊を除去せよ、造叛有理」という毛主席の後ろ盾で、革命の大義のもとにやっつけられたのだから 楽しい時代であったには違いない。 苦しい勉強をしなくても討論や弁術、デモで学校の時代を卒業できて、社会主義国だから政府がどこかの「単位」に所属させてくれるか「下放の栄誉」を受けることになる。 この数年後、突如として沸き起こった日本の高校「学園闘争」はたぶんに紅衛兵の影響を受けていました。

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楽しくて仕方がなかったからです。 文革が発動された1966年当時、紅衛兵として結成された若者の主体は日本で言えば高校生~大学生、年齢は15~6歳から20歳前後でした。 つまり彼らは1950年前後の生まれで、革命から建国に至る激動の時代を書物では教えられているけど実際には知りません。 革命はあくまでも物語上のロマンチックな出来事であり、しかもそのカリスマたる毛沢東はすでに中南海の奥に引っ込んで伝説の英雄となっていたのです。 そのレジェンドが突然生身の姿を現し、「司令部を砲撃せよ」と呼びかけたのです。 そして学校になど行かず、ふだん偉そうにしている地域の「幹部」(ソ連式官僚主義を代弁する党員、お偉方)や先生たちに夜襲をかけ、そうした「階級の敵」を好き勝手につるし上げて良いと言われたのですから楽しくてたまらない。一種の集団ヒステリーで我先にと参加したのです。革命とはこんなに素晴らしいものなのか!ということです。(それが毛沢東の狙いでもあったのでしょう。永続革命論です。) 暴虐が過ぎた彼らはしばらくすると「下放」と称して農村へ厄介払いされましたが、これがまた楽しい。伝説の長征と根拠地闘争を気取って農村でタダ飯を食らう。 日本では多くの映画や小説で下放の悲惨さが広まっていますが、それはごく一部のエピソードで、多くの学生は気ままな田園生活を満喫していたというのが実態です。そしてそこで生涯の友を得たりもしています。 彼らは今や70歳前後、今の中国の老年エリート層です。集まってカラオケで文革当時の革命歌を懐かしく歌ったりするのです。 日本では文革は残虐で悲惨なもので、中国人はみな悪い記憶しか持ってないと一般に思われていますが、それは中国の宣伝に騙されているのです。 文革時代を懐かしく思い出す中国人の方が多いでしょう。私の知り合いの中国人女性教師は当時美術を専攻していたのですが、街頭のスローガン書きに駆り出され、壁にペンキで書き殴る毎日が楽しかったと語っていたものです。

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いい質問ですね。 知恵袋で、その質問に核心回答ができる人間は私以外にいないのではないか? という、大口たたくのを切り口に回答しますと、 実際には学生たちの一部は反発がありましたよ。 ただ、その頃の中国はコテコテの社会主義共産圏で、人民には、自分で進学先を決める権利もなければ、仕事も自分で決める権利がありませんでした。 それを「分配制度」というのですが、進学先も就職先も、国が決めてたんです。 たとえばですが、 優秀な高校生が、まずは統一試験を受けて、優秀であれば、国家が進学する大学を決めるわけです。 そして、さらに仮の話として、 理系大学では国家トップである、北京の清華大学に進学を国に決められて、専攻は機械工学とすると、 極端な話、卒業後、それでも国が職場配属したのは、その学生の出身地の田舎のふるさとの養豚場の械設備をメンテする仕事に配属された・・・ というようなパターンも多々あったわけです。 住居、進学、就職、全てが国家分配する国営ということです。 その進学の自由のなさ、就職の自由のなさが、1989年の天安門事件の時、学生の暴動の引き金になった水面下原因の一つともなっていて、 1990年にその国による「分配制度」は無くなったんですが、 質問に対しての一つの回答に戻しますと、 その文革当時の知識分子や学生は、思想教育による文化大革命に対することは、地域から抹殺されたり、極端な話、死を意味していましたし、 学生はもともと、国家による領導と分配で自分の存在価値が決まるという、当時の中国の国情でしたので、 知識ある学生も、超有名大学卒業後、極端な話、養豚場で豚の飼育をしろ!と言われれば、それに従うしかなかったわけです。 ですから、 「古きを捨て、新しきも捨てる」 と、当時7億人いた、人民のこれまでの文化知識や習慣をすべて空白にして、共産党の価値観に染め直す!というのが、文化大革命の真髄の一つですから、 学生に反対する術や、その意志すらももぎ取られていたというのが、一つの核心回答になりますね。

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「学生」ということはほぼ「年齢構成は暴走族と一緒」ですよ。 自動車やモーターバイクで暴走するか、本を暴読するかの違いしかないでしょ。 若者は古今東西を問わず、愚かで無分別です。

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意見を言うエリートは殺され、バカの振りをするエリートのみが生き残ったので、結果として毛沢東に従う人のみ存在した。