バブル景気の記憶がある方へ質問です。

1人が共感しています

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

その他の回答(10件)

0

ボ、ボクは小学生でしゅが・・・ 資産スライドと消費スライドが拮抗していた。つまりは資本家階層は預金を回収しはじめ中産階級は社会基盤以外の産業構造に進出していた。宮沢内閣が公的資金問題で先送りしたのは自律再生が可能であるとしたから。住専と郵便貯金に土地本位族は標的としていく。バブルの債券を入れるのと出す作業をしていたのは暴力団だった。なので不況の本質は直接的暴力による市場で敗者となった企業への死刑宣告競争だったのだ。大蔵省への加担は国内系列は基幹として保護されるからだ。企業テロは外国籍会社からはじまり国際的な資本の抗争となったわけだ。景気循環のみなら成長と淘汰の競争原理となるが、日本経済は軍需産業から発展しており敗けイコール死なのだ。1980年代の消費行動に端緒をつくった会社が淘汰されていったのが、いわれるように1995年あたりだ。会社が抜けてなぜか市谷北の丸あたりが景色が変わるほどであった。それでもソニーのような名品回帰として900マン円のレーサーレプリカをカタログの通販で売ってたところもあった。さすがにバブルの栄光を高速性にはかなく表現していたが、買った人は排ガス規制ですぐに乗れなくなったはず。貯蓄と教育費に各家庭が邁進していったのが1990年代である。大学バブルは引き続く。個人の資質が教育の成果となって将来の収益性に関係することは、昭和の会社が集団的だったのにたいして個別的になり、個別の競争は不確実なので資本が政治権力と結託して情報操作をする技術により自己防衛する仮想現実を演出しだした動機である。幻想が崩壊するのが阪神大震災とオウム真理教事件である。両事件は自衛隊の活動が社会的に認知されたことである。一般人が立ち入れない地区での警察権力よりも上位の暴力の存在が米軍と統合して他国の暴力を威嚇する発展段階をえたのである。直接的暴力の階層化はスライドの効果をなくした。それが1995年なのである。以後1997年に拓殖銀行が破綻し共産党が都議会に入り二重帳簿問題が一般人に認識され戦後社会の金融の支配体制は喪失されるのである。不審船事件で押収した証拠により反社会勢力と外国が結託している事実が判明する。 >> 1980年代に、ヤクザの企業活動には2つの重要な相互に関連のある動きが生じてきた。ひとつめは、投機的な不動産取引や株式市場のバブルへの関与の増大である。多くのヤクザをこの分野に招きいれたのは不動産業者であった。不動産業者は、ヤクザを使って地上げ行為、隣設する小さな土地の所有者に圧力をかけて土地を売らせ、それらの土地を一つにまとめて開発のしやすい物件として提供しようとしたのである。こうした取引が簡単にできないように日本の不動産法は様々な規制をもうけているが、ヤクザは抜け道を提供したのである。地上げ行為の報酬は、つりあげられた地価の3%が標準である。1980年後半までに、地上げは関東や関西地区のヤクザの最大の資金源であったと考えられている。さらにヤクザは不動産業に直接進出し、膨れ上がる株式市場に自分で投資をするようになった。この時代に生じた2つめの重要な動きは「民暴」すなわち民事介入暴力の増加である。民暴とは、暴力団やまたその周辺にあるものが、暴力団との関係を暗示して、一般市民の日常生活に介入したり、法的手続が機能していない領域があることにつけ込み、権利者あるいは利害関係者の形をとって経済取引に介入する行為のことである。厳密にいえば、民暴は、債権取立て、総会屋活動、金銭貸借、手形関係、倒産債務整理、不動産問題(とくに地上げ)、交通事故の示談、その他の交渉に関する行為に分かれる。民暴の急激な増加は、1982年の商法改正によって、総会屋タイプのゆすり行為がとくにその末端部分において難しくなった後におこった。総会屋活動から締め出されたヤクザが資金源として民暴に走ったのである。この動きは2つの理由で重要であった。まず、民暴の多くは、ギャンブルやクラブの用心棒など昔ながらの「被害者なき」ヤクザビジネスとは異なり、一般市民の生活に及ぶものであったことによる。組織的犯罪に対して当局がどれだけ寛容であるかは、一般の人々の被害意識に大いに影響を受けるものである。第2に、1992年以前では、民暴が法的にはグレイゾーンに属していたことによる。民暴は、目的を達成するために暴力の威力に頼っていたが、この威力は暗示されるにとどまっていた。すなわち、脅された当事者は、脅す側が示す暴力団員というサインとその意味を理解したのである。バブル崩壊の後には、むろんヤクザの経済活動に流れ込む資金もずっと減少した。以前にはヤクザと向き合うよりは立ち去ってもらうほうがいいと金を払っていた金業にも、そうする余裕がなくなった。同様に、経済不況によって、クラブやレストランや風俗産業の収入も減少し、ヤクザに支払う「みかじめ料」も減ることになった。しかし、ヤクザのもうひとつの主要な収入源であった建設業界は、大規模な公共投資によって上向き状態にあった。日弁連の占有妨害対策研究会代表の山田務弁護士は、1999年当時では、日本の公共事業の30%から50%は暴力団にワイロを払っており、その額は全体の工事費用の2%から5%であると述べている。つまり、ヤクザにとっての主要な損失は、金融や不動産市場で生じたということになる。以下ではその点について述べたい。バブル崩壊の後、地上げによる収入は干上がり、投資家たちも、もはや大型の開発からは大きな利益を得られないとみるようになった。これは大きな痛手であった。さらに、多くの地上げ屋は、投機先を多様化させていた。ほかの多くの投資家たちのように、彼らは土地を担保として金を借り、投機につぎ込んでいた。地価の下落はその投資に打撃を与え、担保価値を引き下げ、負債の返済を困難にした。この問題はヤクザに限ったことではなかったが、そうした人物から貸付を回収することは債権者にとって特別な問題であった。1993年に、阪和銀行副頭取であった小山友三郎が射殺される。小山の職務には、債権を取り戻すことが含まれており、彼を殺した犯人はヤクザと推測されている。小山は、おおよそ5億9千万円の融資をヤクザの企業舎弟に認めていた。その融資が承認されたのは、銀行の様々なスキャンダルを暴露しようとした政治的な雑誌を暴力団が黙らせたからだといわれている。銀行内に派閥争いがあり、たがいに相手を挫折させようとして政治団体や暴力団を利用していたという。1996年に大蔵省が阪和銀行に取引を停止するよう命じたとき、ヤクザや右翼団体が所有する債務などを含んだ銀行の「特別投資」のリストが発見されている。同じく1993年に、住友銀行の支店や役員の自宅を襲った事件が相次いで起こっている。そして、1994年の9月には、畑中和文住友銀行取締役名古屋支長が玄関ドアを開けたところで射殺される事件がおこった。この殺人事件を捜査した警察は、銀行が情報を握っていると確信し、畑中の机の中やファイル棚の資料を押収するという異例の措置をとった。警察庁関係者は、Tokyo Business Today (December,1994)で、住友銀行が沈黙を守ったのは、バブル経済時代のきわめて積極的な企業活動を通じて、ヤクザとの結びつきを深めたからだとしている。住友銀行は、どんな手段を使っても担保を自収しようという方針をもっていて、彼らは犯罪組織を利用してほかの犯罪組織への貸付を回収しはじめた。住友銀行の貸付回収は、京都の暴力団会津小鉄の会長を死においやり、東京の別の暴力団のリーダーも自殺に追い込んでいる。この時点で、暴力団は次は自分だと気づいて、貸付回収にもっとも積極的だった畑中を殺害した。この事件を受けて、大蔵省は、住友銀行にヤクザ関係の5千億の債権を帳簿から抹消することを許した。ほかの銀行も「回収困難」な債権を抹消することを許された。1997年までには、全体で、21の主要金融機関が、20兆5千億の最も問題ある債権を放棄することを許されている。ヤクザ関係の不良債権問題は、住専がつぶれたことで切迫した問題となった。住専は1990年の大蔵省の不動産融資の総量規制の対象外とされていたため、銀行の信用基準を満たさない企業の資金源となっていた。1996年1月までに、住専7社の所有する不良貨権の総額は、6兆4千億にのぼったと推定されている。これらの会社では、2兆1千億円の不良であるが回収可能な債権を抱えていたといわれる 。ひとつの例として、総合住金がおこなった93の融資のうち40がヤクザ向けで、全体の43%をしめていたといわれている 。South China Morning Post (May 31,1998) に引用された大蔵省の資料でも、ヤクザとその企業舎弟が住専から少なくとも5兆円を借りていたことを認めている。住専の破綻は日本の不良債権問題を最も象徴的に表したが、それは氷山の一角にすぎなかった。この総額の40%にヤクザが介入していると、多くの関係者は推定している。住専の崩壊が引き起こした混乱を収拾するため、1996年に政府は住宅金融債権管理機構を設置した。この機構は1999年に整理回収銀行と合併して、銀行や住専の不良債権問題の責任を負った整理回収機構となった。この機構は、ヤクザ関係の不良債権を取り扱うために警察出身者による特別対策室を置いた。2002年4月までに買い上げた8兆7千億円の債権のうち、なんとか回収できたのは4兆6千億円であった 。その買い上げた債権の18.4%はヤクザと結びついていたといわれる 。

画像
0

>90年代前半はまだ深刻な感じではなかったんですか? 終わってる感はありましたよ。 会社の資金として銀行の貸し渋りはあったと思う。 あと、突然の倒産とかも良く見かけた。 ドラマのベタなワンシーンみたいだけど全然笑えない。 朝、ビルの前で数人が呆然としていてその人たちの隙間から覗くと、自動ドアに倒産のお知らせの張り紙。この人たちは今、勤めていた会社の倒産を知ったんだと思うと、自分には全く関係ないけど、自分には深刻な感じは全く実感していないんだけど終わったんだなとは思いました。 あと、バブルの象徴はジュリアナよりマハラジャだと思います。 当たり前だけどバブルが弾けても全員無職で貧乏になったわけではなく、ちゃんと業績を伸ばしてそれなりに出世した人もいました。 で、「マハラジャ面白かったよなっ。VIPルームとかお立ち台とかドレスコードとか、あの馬鹿みたいなノリでもう一回はしゃぎたいぞ」っていう人たちを見事にカモったのがジュリアナ。 ついでに、バブルってこんなだったんですねって感じで若い人も遊んだ。

0

90年はバブリーランバダ。 91年はオリオリオーイエイエリヨー と踊ってた。 92年頃から女子の就職が出来ないと 噂だった。貴乃花が千代の富士を 押し出して千代の富士引退。 93年は冷夏の米騒動。でも不景気 とは思わなかった。相変わらず レインボーブリッジなんか作った りして…。 94年だな…村山内閣、自民党は頭が おかしくなったw消費増税、この辺 からだな。おかしい!と思ったのは。

0

バブル崩壊とは、まず上場株式やゴルフ会員権、ついで不動産や美術品といった相場のある物の価格が暴落をいいます。その間でも2-4年のタイムラグがあります。 90年に株の暴落の余波で「尾上縫事件」「イトマン事件」という不正融資事件が発覚、金融機関が慌てているのを、我ら商業や製造業系の人間は、あざ笑っていました。株式投資に肩入れして利益をあげていた商社が証券会社からトバシや優遇を受けていたことも冷笑の対象です。 不良債権処理が進行中、ということで銀行の金利が上昇、預金者はおいしい思いをしていました。 一方で125円→100円と急速に円高が進行し(あとで考えると彼らが外国の資産を処分して日本での資金繰りに充てていた!)、円で計算するGDPは上昇したので、輸出難は一時的ですぐに回復する、とタカをくくっていました。 おりしも下がったと思って自宅マンションを購入しましたが、途端、勤務先(情報産業)が行き詰り、銀行管理、倒産寸前となります。「過剰な設備と人材投資と営業戦略ミスが致命傷」だと知りますが、容易に転職が可能でしたから、そこまで不景気が進行しているとは思いませんでした。 取引先の自動車部品業界は好調でしたから。そこで部長さんと93年頃「銀行はつぶれるか?」と論争をしたことがありますが、誰しも「まさか潰しはしないだろう」との答えでした。 私は頭文字をとって「東のAIDS、西のFOCAS」と呼ばれた大量の在庫を抱えた不動産会社が破綻寸前で、そこには多くの銀行が関与していると知っていましたから、否定しました。その一つ、関西の地銀は2年後破綻します。 その頃、東食、トーメン、ヤオハンといった中堅規模の商業者が倒産しています、金融機関が面度見切れず「このままでは友倒れだ」と見放していたのです。 そして95年1月、到来した阪神大震災で、流通業と製造業がさらに痛手を受けます。 緊急対策の公共投資と減税の大盤振る舞いで少し景気が良くなったようにみえた、1997年、自民党単独内閣は何を勘違いしたか、増税と健保の利用者負担増に転じます。 すると「天災の後に増税すると恐慌が来る」というセオリー通り 金融恐慌がやってきて、北拓銀行、山一証券、長銀、日債銀などが破綻し、人々は危ういと思った銀行から預金を引き出す取り付けに走ります。 このあとに来たのがITミニばぶる です。株式投資で儲ける人が続出します このように景気は大小のサイクルで循環するもので、何もかも右肩あがりで上がることはないし、下がり続けることもありません。 、ついでその商いに比重をかけすぎていた商業や中小金融機関の