最近の、あるいは、昔からの、中学/高校生の学校の音楽、特にクラシックの授業の、ペーパーテストや練習課題や問題、っていうのは、やたら、
最近の、あるいは、昔からの、中学/高校生の学校の音楽、特にクラシックの授業の、ペーパーテストや練習課題や問題、っていうのは、やたら、 難易度が高い、難しい、面倒くさい、言葉が複雑な難しい、課題がたくさん先生に出されるのでしょうか。 私が少し見ても、簡単ではない、やけに難しい、時間が何日もかかりそうな、そして、そもそも、正解が出せるのか出せないのかすらも、非常にわからない問題が、とても多いような気がするのですが。 実際どうなんでしょうか。よろしくお願いいたします。 なんか、知恵袋でも、変なおかしな実例がいろいろ出てきているのですが。学校の先生が真面目に考えているのでしょうか。それにしても難しすぎないでしょうか。生徒に考える時間の余裕はあるのでしょうか。例えば、いつできるものなのでしょうか。 ついでに、そのような事例も挙げていただけましたら、ありがたいです。しかし、だいたいわかりますから、なくてもかまいません。
ベストアンサー
私は元中学校音楽教師です。 知恵袋で学校で出された課題なんですがという質問 確かに難しすぎるなとかこれ必要あるんか?と思う課題ばかりです。 ハッキリ言って教科書から離れすぎてるし、もはや先生の趣味の世界でしかないと思ってます。 特に今年はコロナウイルス感染症対策のため、学校が長期間休校となったため、音楽の先生たちも課題を出さざるえませんでした。 課題を出すのに慣れてないのか、テキトーなのか、課題にすらなってないものもあると感じています。 ヒドイものです。 基本的には学習指導要領に則ったものでなくてはいけませんから、教科書から離れてはいけません。 ところが現行の学習指導要領だと音楽科は「必修教材」という概念がなくなっています。 一応、教科書はあるものの、 学校や生徒、地域の実情に合わせてよいということになり、個々の音楽教師の裁量に委ねられてしまっています。 それもあって、めちゃくちゃな課題が出されてしまうんです。 1つには 「学習指導要領」の問題 2つ目に コロナウイルス感染症対策による休校 3つ目に 先生たちの不勉強、いいかげんさ これが大きいと考えます。 音楽の先生たちって表現特に歌唱指導、それも合唱なんかにはめちゃくちゃ力入れるんですけれど、鑑賞の授業はあまりやらないし、一回聴かせて、感想書かせて終わりというヒドイ授業はたくさんあります。 正直、音楽の先生たちが不勉強だと思います。 そんなもんだから、いざ休校となって課題を出さなくてはいけなくなり、深く考えもせずに好き勝手に自身の趣味を生徒に押し付けてると思います。 だから、そんなヒドイ課題はわからなくて当然なので、知恵袋での質問に対して、私は 「調べてみたけれど、よくわかりませんでした。」と正直に書きなさいと回答しています。 知恵袋で教えてもらったマニアックな回答を丸パクリするより余程よいと思います。 回答者さんたちの回答ではマニアック過ぎてしまい、本人が考えたり、調べたりしたものではないことくらいはたいていの先生たちにはわかります。 質問する学生さんたちもロクに調べたり、聴いたりせず、いいかげんだなと思いますね。 音楽は受験に関係ないからとか音楽なんて簡単と学生さんたちが思ってるからだと思います。 でもそう思わせてるのは音楽の先生たちが本当の音楽の素晴らしさを教えてないし、自身でテキトーな課題を出すようなことをしてるからです。 先生たちがダメダメだけど、お手軽にテキトーに短時間でネットで検索して丸写しして、よく調べたり、楽曲を聴かずに課題をやっつけてしまおうとする学生さんたちもダメダメです。 シューベルトの音楽の特徴を書けって??? シューベルトは短い人生でしたけれど、作風は1つにまとめられるほど、簡単ではないし、バラエティーに富んでます。 もし私だったら、中学校音楽1(1年生の教科書)にはシューベルトの「魔王」が出ていますから、「魔王」の特徴についての課題を出します。 例えば、 ①「魔王」は歌手が父・子・魔王と語り手を1人で歌い分けますがどう歌っているでしょうか? ②ピアノ伴奏はどうなっていますか? ③「子」が「お父さん、お父さん」と3回呼びますがシューベルトがある工夫をしています。 それはどのような工夫でしょうか? 楽譜を見たり、楽曲を聴いて気がついたことを書いてください。 というような課題にします。 基本的には授業で教えた内容を出しますね。 その際には「曲の命にふれる」ことにしていました。 「魔王」の場合、 ①ドイツ・リート(歌曲)であること ドイツ・リートは詩だけで既に芸術的です。 魔王はゲーテの作詩 交互に韻を踏んでいます。 ゆえに日本語に訳した歌唱を聴かせたのでは全く良さは伝わりません。 ②「魔王」の難しさは歌手が1人で4人を歌い分けるところにありますがシューベルトが 魔王のところは敢えて転調を行い明るい音で書いています。 その音色の変化はちゃんと楽曲を聴けば、特にピアノ伴奏に注目すれば、わかります。 わからない生徒は音楽の能力が劣ってます。 ③ピアノ伴奏 ドイツ・リートではピアノは単なる伴奏ではないです。 そこに気がつく生徒は凄いです。 ④「子」が3回「お父さん、お父さん」 (Mein Vater Mein Vater) と歌いますけれど、2回目、3回目と回を重ねる毎に音が上がります。(転調) それによって子に魔王が迫ってきていること、最初は子の話を軽く流していた父親がだんだん本気で焦り出す様子をシューベルトが音楽的に見事に表現しています。 ここに私はシューベルトの天才を感じますね。 音楽の課題はあくまでも実際に楽曲を聴かなくては書けないような内容にするべきだと思いますし、少なくとも楽譜を見て分析しないと答えられないようにしなくてはただの調べもの学習でしかなくなってしまい、それは音楽ではないと思います。 単なる文献読んだり、ネットで検索してまとめればよいような課題は全く意味がないし、それをもって音楽の成績を付けるのもおかしなことだと思います。 「シューベルトの作品の特徴を書け」とかヒドイ場合は「シューベルトについて書け」 こんなのは課題ですらない。 音大生や他の音楽教師やプロ演奏家だって書けないようなマニアックな内容を課題にするのももってのほかだと思います。 学校の課題は学校の授業で扱ったものでなくてはならないし、教科書を読めば書けるものにするべきです。 コロナウイルス対策の休校措置で授業がなくて教えてなかったとしてもこれまでの授業で生徒たちに付けてきた力で生徒たちが答えられるものでなくてはなりません。 そうじゃなかったら、授業がなくても出来てしまうことになるし、そうなれば教師はいらないワケで学校の存在意義が問われます。 先生たちが楽曲をしっかり分析して教材化を図っていないし、生徒たちについてもどのような力があって、どのような力を付けるべきかという見極めもしていません。 先生たちが不勉強だと思います。 少なくとも音楽科の課題では歌ってみないとわからないものにするか、楽曲を実際に聴かないと書けないようなものにしなくては音楽の課題ではなくなってしまうと思います。
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そうなんですね。ありがとうございます。 とりあえず、つい最近の事例です。引用してしまって申し訳ないのですが、 中学生です。 「交響曲」について説明しなさい。という問題について教えてください。 提示部、展開部、再現部という言葉を入れなくてはいけません。 宜しくお願いします。 だそうです。このような非常に時間がかかりそうな難しいミョウチキリンな問題ばかりです。おかしいと思います。 生徒はクラシック音楽ばかり家で勉強できる訳ではないでしょう。 音楽の先生は時間配分のようなことは全く考えていないのでしょうか。 すごくおかしくないですか。
質問者からのお礼コメント
かなり明らかになってきたと思います。皆様ありがとうございました。
お礼日時:2020/11/24 22:01