実際に質問者様が考えられたように、大砲を前進させて機関銃やトーチカを潰そうと試みたのは事実です。
しかし、両軍の陣地の間にはそれこそ数十万発の砲弾の着弾によってできた穴と、その穴に溜まった雨水により大地は泥濘と化し、泥の凸凹が延々と続く状態になることがしばしばでした。第一次世界大戦(WW1)の戦場の特徴として、この泥があります。
何故なら、塹壕戦は大きく前線の位置が移動しないため、同じ場所で長期間戦い続けることが常でした。WW1の戦場写真で平らな場所なのに草がまったく生えず、枝がすべて吹き飛んだ樹木がポツンと立っているものが多いのはその為です。両軍の砲撃によりなにもかも吹き飛んでしまった、というわけですね。
そんな泥の中を、大砲という重量物を人力で運ぶのは困難でしたし、背の高い馬では目立ちすぎて狙い撃ちされてしまいます。ドイツ軍が使用した7.7cm野砲の重さが約1t(砲弾を除く)ですから、銃弾が飛び交う中、ぬかるんだ田んぼで普通乗用車を縄で引っ張っていく、そんなイメージです。
また、先ほど述べたように凸凹した場所ばかりですから平らで安定した場所も無く、射撃準備に時間がかかってしまい、そこへ機関銃や迫撃砲による集中攻撃を受けて被害が続出。機関銃という小さな目標を狙うには、大砲もそれなりに近づかなくてはならない為、大きく目立つその姿は格好の標的になってしまいました。
そこで開発されたのが【戦車】なのです。WW1における戦車の役目は、敵の戦車と戦うのではなく、歩兵と共に前進し機関銃座などを大砲で潰していくことですから。
英仏はそれなりの数を揃えることができましたが、ドイツは生産力の差もあり数を揃えることができず、終戦まで残り1年となった1918年になっても人馬で大砲を引っ張り続けることになりました。
戦後、ドイツはその教訓を生かし、戦車と比較してより歩兵支援に向いた【突撃砲】という種類の戦闘車輛を生み出すことになります。