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2021/1/8 17:41

88回答

第一次世界大戦では機関銃が猛威を振るったと聞きます。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

旅順攻めで使われたものの発展型ですね。ありがとうございます。

お礼日時:1/11 8:06

その他の回答(7件)

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実際に質問者様が考えられたように、大砲を前進させて機関銃やトーチカを潰そうと試みたのは事実です。 しかし、両軍の陣地の間にはそれこそ数十万発の砲弾の着弾によってできた穴と、その穴に溜まった雨水により大地は泥濘と化し、泥の凸凹が延々と続く状態になることがしばしばでした。第一次世界大戦(WW1)の戦場の特徴として、この泥があります。 何故なら、塹壕戦は大きく前線の位置が移動しないため、同じ場所で長期間戦い続けることが常でした。WW1の戦場写真で平らな場所なのに草がまったく生えず、枝がすべて吹き飛んだ樹木がポツンと立っているものが多いのはその為です。両軍の砲撃によりなにもかも吹き飛んでしまった、というわけですね。 そんな泥の中を、大砲という重量物を人力で運ぶのは困難でしたし、背の高い馬では目立ちすぎて狙い撃ちされてしまいます。ドイツ軍が使用した7.7cm野砲の重さが約1t(砲弾を除く)ですから、銃弾が飛び交う中、ぬかるんだ田んぼで普通乗用車を縄で引っ張っていく、そんなイメージです。 また、先ほど述べたように凸凹した場所ばかりですから平らで安定した場所も無く、射撃準備に時間がかかってしまい、そこへ機関銃や迫撃砲による集中攻撃を受けて被害が続出。機関銃という小さな目標を狙うには、大砲もそれなりに近づかなくてはならない為、大きく目立つその姿は格好の標的になってしまいました。 そこで開発されたのが【戦車】なのです。WW1における戦車の役目は、敵の戦車と戦うのではなく、歩兵と共に前進し機関銃座などを大砲で潰していくことですから。 英仏はそれなりの数を揃えることができましたが、ドイツは生産力の差もあり数を揃えることができず、終戦まで残り1年となった1918年になっても人馬で大砲を引っ張り続けることになりました。 戦後、ドイツはその教訓を生かし、戦車と比較してより歩兵支援に向いた【突撃砲】という種類の戦闘車輛を生み出すことになります。

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発射速度に隔絶した差がある以上、鉋をかけられるのは常に大砲の方なんですわ 歩兵が担いで陣地の影で設営できる機関銃と違って、大砲は大掛かりなもんですから設営に時間がかかるし丸見えだしで、とても機関銃の弾幕の中に出せるもんじゃありません かと言って機関銃の射程の外に出ると、今度は遠すぎて当たんないと言うオチでございます 「じゃあ機関銃の中でも設営ができるように分厚い壁を作ろうぜ!」 「重くて動かせねぇから壁にエンジンをつけたぜ!」 「ついでに壁から砲も生やしたぜ!」 かくして戦車の誕生というわけです

ちなみにWW1当時の大砲はむしろ直射が主流です 砲兵というのは最前線で野砲を引きずりながら敵と銃撃戦を繰り広げるお仕事だったわけですね これが機関銃の発達により全く仕事ができなくなり、結果として誕生した戦術が間接射撃というわけで

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歩兵砲や迫撃砲で近接支援攻撃するようになった。 しかし、それでも、これらの小型砲ですら、最前線への設置は危険性が伴う。それ故に、味方歩兵との協力が必至なのだ。

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機関銃を潰すための兵器が迫撃砲なのです 丈夫な天蓋を持った機関銃座でも垂直な弾道で銃座の直前に着弾されたら 機関銃もろともに消し飛びます 例え機銃の要員が新たに入れ替わったとしても定期的に着弾させる事で 攻撃の間は銃座を制圧する事が出来ます 5秒ごとに着弾すれば頭を上げて狙いを付ける事さえ出来ません 迫撃砲は至近距離で機関銃座から隠れた低い位置から撃てるのです

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機関銃がどこにあるのかわからないのです。 機関銃は穴を掘って、その穴の上に丸太や鉄板を置いて土をかけ、その土の上に草まで植えます。 鉄条網は横まっすぐ張っていないで、何十mかごとにジグザグに張っていて、機関銃は穴から銃身だけ出して、その鉄条網を突破しようとする敵を横から撃つのです。敵は、鉄条網の近くに機関銃はあるだろうなとは思うのですが、撃たれるまで機関銃を見つけられないのです。 撃たれた敵が発煙筒でもたいて「この煙の右前方50mを撃ってくれ」と砲兵に頼んでも、砲兵もそんな味方に当たるかもしれない距離では撃てず、撃っても丈夫な屋根をかけている機関銃座はなかなか潰せないのです。