ID非公開
ID非公開さん
2021/1/15 7:53
2回答
現代の日本の坊主達(僧侶)の胡散臭さは、半端ないと感じるのは私だけでしょうか?
現代の日本の坊主達(僧侶)の胡散臭さは、半端ないと感じるのは私だけでしょうか? その辺にある寺の世襲坊主はもちろんですが、「千日回峰行を成し遂げた阿闍梨!」とかで高僧ぶってる人も胡散臭いと感じます。そもそも山に籠もって時代錯誤の修行なんかより、社会で大成し貢献する方が遥かに困難な偉業なので。そして人間も磨かれていると思うのです。 一体いつまで、日本は偽経の大乗仏教で宗教ごっこをやり続けるのでしょうか。 いかがですか。 回答宜しくお願いします。
ベストアンサー
死後の憂いを心配する人がいなくなったら、葬式仏教は成立しなくなるでしょう。 でも、それは無理、というのが真理ではないでしょうか。 死後なんて無い、死者の弔い、供養なんて無意味と信じる人が増えることはあっても、それが大多数になるとは思えません。 悪徳坊主は、最終的には駆逐されることもあるでしょうが、悪徳政治家同様に、すぐにどうこうとはならないのも、残念ですが世の常ですね。 なお、苦行は全く意味が無いのかというと、それはケースバイケースだと思います。 その苦行が人格形成に有益な人もいれば、それが逆に慢心に、腐敗に繋がる人もいそうですね。 苦行が有益だった僧侶は、人々の苦しみに僧侶として適切に対応してくれると思います。 また、人里離れて山に籠るより、積極的に街に出て、経済面から救済活動をするという道も、それも有益なことだとも思います。 でも、人はパンのみによって生きるにあらず、であり、また心理学などの医学的なアプローチだけでも人の精神面をカバー出来ないというのも真理だと思います。 そこに僧侶としての役割があるのでしょうね。 問題は、いかにして僧侶の堕落を防ぐか、ということでしょう。 それには、葬式の時だけ頼って任せるのではなく、民衆の方もちゃんと仏教を学んで、僧侶に意見できるぐらいに知識を得ておく必要があると思いますね。 宗派の祖師とされる人は、決して堕落などしていなかったでしょうから。
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質問者
2021/1/15 17:06