優れた芸術作品が、良いものである普遍性というものは、本当は無いのではないかと思います、と言うか、何処に在るのでしょうか?
優れた芸術作品が、良いものである普遍性というものは、本当は無いのではないかと思います、と言うか、何処に在るのでしょうか? 好き嫌いもあるし、ジェネレーション ギャップ、時間的差異、人それぞれの観点の違い、、、 歴史に残っていく作品はありますが、修復してまで残そうとするのは、偶像礼拝とは違うと思います。 まぁ、別に手を合わせて拝み、賽銭しなければ、キリスト教的には問題無いのですが。(プロテスタント) 食べ物を人は料理するわけですから、適当に感謝したふりでもいいから、「自由に食べなさい、飲みなさい」ですが、作ってはいけない訳ではありませんよね。 でも、何故か残ってゆく作品群には、共通項が在るからなのでしょうか? 自分が作るのものが、駄作ばかりで、時々、嫌になります。死にたくなる。 ゴミと言われるのが、一番辛い。。。。 どうしても作っちゃうからね。 何故でしょうか? 性懲りもなく、絵の具を買ってしまう。 癖になっちゃって、何故でしょう? それが分かんない。自己満足だから止められないのかな?
ベストアンサー
この質問で感じたことを書きたい。 小難しい話だけど 時代は繰り返すというが、かつて戦争で失われた空白の時をどこかの誰かが悲しみ宗教や道徳というものを作った。 これにより優しさを身につけていたはずの人間たちだが今は失われてきており、戦争寸前と仄めかす声も少なくない。だが芸術はそれを変える力を秘めてるのではないかと思う。 芸術作品とは特に絵や音楽は世界共通の言語(比喩)であり、この世界の人間を一つにする力を持っている。 だからこそ芸術なのだと思う。 世界中の誰かと同じ感情を持つことで、互いが同じ人間であるということを改めて感じ仲間意識も生まれる。 未だにピカソ、ダリ、フェルメール、ゴッホ名だたる作家が愛されるのはなぜか。 なぜ歌詞のないクラシックが愛されるのか。この人たちは、隣人に作ったわけではなく世界中の人々へ発信したからです。 全ての人間を愛したディズニーも含め、 無差別に人を殺すものもいれば 無差別に人を愛す者もいたわけです。それが作品となり歴史に名を残し続けている。 偉大なものはいつでも価値が生まれるんです。
質問者からのお礼コメント
ありがとうございます。
お礼日時:1/22 10:06