江戸時代の水戸藩に歯参勤交代って無かったのですか?」

補足

其れじゃ水戸藩の殿様は故郷の水戸藩に帰らないで江戸にズーツと住んでいたのですか??

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頼房は水戸城主になった頃は、まだ幼少で養母の英勝院と共に駿府に住んでました。その後、家康没後に江戸へ移りました。仲の良い一つ違いの家光と、江戸城で過ごすうちに、三代将軍家光の補佐役となりました。それにより代々水戸家は、江戸定府となった様です。 頼房は、滞在期間が短かったようですが、11回水戸へ赴いたと言われてます。

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水戸徳川家は将軍の相談役のような立場にあったので参勤交代のない江戸定府でした。歴代の藩主でも帰国したのは1度か2度です。水戸は江戸から近く、国許に何かあっても2日ほどで帰れるので交代する必要が無かったのです。

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歯の参勤交代もなかったし、普通の参勤交代もしませんでした。 理由は諸説あって不明ですが、初代徳川頼房(家康の末子)が水戸藩を継いだのはわずか6歳の時です。だからその後も駿府や江戸で育てられており、そのうちほぼ同年の、甥にあたる家光の学友扱いされたずっと江戸にいたからだともいわれています。水戸藩の扱いも天領なのか、兄の頼宜の支藩なのかはっきりしなかったようです。それが前例となって水戸藩主は江戸常府となった。 実は参勤交代しない藩は水戸藩だけじゃなく結構多かったんですよ。分家で作られたような小さな藩はしませんでした。また、当時の殿様は江戸で生まれていますから、「故郷に帰る」のが参勤交代じゃありません。「江戸にいる殿様が自分の領地を定期的に見に行く」のが参勤交代の本旨です。もちろん頼宜も成長してからは何度か水戸を訪れています。

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最後の「頼宜」は「頼房」の書き間違いです。 なお、「御三家」というものがはっきり認識されるようになるのは五代将軍綱吉のころからです。 頼房の時代には御三家という扱い方はなかった。だから「水戸は御三家で江戸にも近いから」という理由で江戸常府になった訳ではありません。

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無いです。水戸藩主は定府、すなわち江戸に居っぱなしと決められてましたので。