歯の参勤交代もなかったし、普通の参勤交代もしませんでした。
理由は諸説あって不明ですが、初代徳川頼房(家康の末子)が水戸藩を継いだのはわずか6歳の時です。だからその後も駿府や江戸で育てられており、そのうちほぼ同年の、甥にあたる家光の学友扱いされたずっと江戸にいたからだともいわれています。水戸藩の扱いも天領なのか、兄の頼宜の支藩なのかはっきりしなかったようです。それが前例となって水戸藩主は江戸常府となった。
実は参勤交代しない藩は水戸藩だけじゃなく結構多かったんですよ。分家で作られたような小さな藩はしませんでした。また、当時の殿様は江戸で生まれていますから、「故郷に帰る」のが参勤交代じゃありません。「江戸にいる殿様が自分の領地を定期的に見に行く」のが参勤交代の本旨です。もちろん頼宜も成長してからは何度か水戸を訪れています。