レイテ沖海戦前に発生した台湾沖航空戦で残敵掃討を命じられて出撃するも、撃破したと思っていた米機動部隊が実はほぼ無傷であった事が判明し奄美諸島あたりまで退避
その後米軍のレイテ接近の報を受けるが、志摩艦隊は本来に任務である「小沢艦隊の前衛」ではなくレイテへの増援部隊の強行輸送任務を連合艦隊より新たに与えられる事になり台湾に向かう
だがこの強行輸送任務に陸軍や大本営は懐疑的で中々決定せず、志摩艦隊側も小沢艦隊復帰か栗田艦隊と共にレイテ接近湾に突入する事を望み、結果志摩艦隊の任務が中々決定しなかった
結局栗田艦隊と協力してレイテ湾に突入する事になるが、決定が遅れた事で出撃が遅れ、更に待機中に別任務で駆逐隊を分離してそれに向かわせたりしたり、増援が待機するマニラ湾に寄る余裕が無くなって合流できなかったりしたので、重巡2、軽巡1、駆逐4の小戦力で、レイテに向かう事になってしまう
(因みに合流とかできていたら重巡3、軽巡2、駆逐8と、それなりの戦力となっているはずだった)
志摩艦隊はレイテ湾への最短コースを進む第一遊撃部隊第3部隊(所謂西村艦隊)と共同して進撃するが、急な参加決定の上、両艦隊は指揮系統が異なったので連携を取る事ができず、西村艦隊が先行する形でバラバラに進撃する
(もし西村艦隊と共闘でき、前述の増援とかも合流していたら、その規模は戦艦2、重巡4、軽巡2、駆逐12とかなりに戦力になっていた)
そして先行して突入した西村艦隊は壊滅
後続してた志摩艦隊も侵入直前に軽巡阿武隈が雷撃を受けて大破脱落
それでも進撃してた志摩艦隊は旗艦那智が撤退する西村艦隊の重巡最上と衝突
(噴煙の中にいた最上を停止していると判断。直後に米軍の雷撃を交わすために転舵したが、微速ながら動いていた最上が噴煙から出てきて躱しきれずに衝突した)
これ以上の突入は無謀と判断した志摩艦隊は撤退を開始
途中大破した阿武隈に駆逐艦潮をつけて退避させるが阿武隈は米艦載機に発見され空爆を受け沈没
ぶつかった最上にも駆逐艦曙をつけるが最上も空襲を受けて沈没する
残った那智、足柄、霞、不知火は撤退を続けるが栗田艦隊所属の重巡熊野が損傷して撤退中に空襲を受け救援を要請している事を知り、足柄と霞が救援に、不知火も同様に米軍の空襲を受けて救援を要請してきた軽巡鬼怒の救援に赴きその帰路米軍機の攻撃され沈没する
結局退避先のコロン湾に帰れたのは旗艦那智と熊野を護衛して戻ってきた足柄と霞、最上と阿武隈の生存者を収容して帰還した潮、曙の5隻だけでした