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2021/1/18 7:03

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仏教には無我と輪廻転生という矛盾する教えがあります。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございました。 やっぱり迷信ですよね。 輪廻転生を狂信するあまり道理をねじ曲げてまで輪廻転生を主張する人には驚きました。 早くマインドコントロールが解けることをお祈り申し上げます。

お礼日時:1/24 18:35

その他の回答(13件)

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それが正しいかは、ご検討下さい。 矛盾のない考え方も存在します。 無我【非我】は、 【身体、感覚、イメージ、意志の遂行、識別】の五つの集まりは、【私】ではないという事です。 つまり、【私】が存在しない!ではなく先に挙げた五つが【私】ではない!です。 私は存在するけど、先に挙げた五つではないという「我に非ず」ですね。 例えばヒンドゥー哲学でいう「アートマン」ー真我を【本当の私】という考えです。 輪廻転生は、真我に先に挙げた五つが引っ付いて、生まれ変わる事を繰り返すという事になります。 例えば身体は生まれ変わる度に脱ぎ捨てます。 つまり、身体は「私ではない」けど輪廻転生は可能です。 この場合は矛盾はないと思います。 多分、無我の意味を【私がない】と考えて輪廻転生とは無常すると考えておられると思います。 よって無我の意味を、先に挙げた五つが【私ではない】と考えたら矛盾しないと思います。 仏教では釈迦のなくなった後で、無我と非我、つまり【私は存在しない】と【私は存在する】けど先に挙げた五つが【私ではない】という考えの間で論争があったと聴いてます。 確かに【私は存在しない】とするならば、輪廻転生と矛盾を感じると思います。 私は無我というより、非我という考え方を正しいと学んでいます。 貴方が過った内容を意識し、例えば脇の下から産まれたとかいう迷信を否定できる点は素晴らしい。 釈迦の得たという本当の智恵や力、神通力や徳を得てみたいものです。 答えやすい調度良い質問に感謝致します。

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質問者

2021/1/23 23:29

五蘊が私ではないことはその通りでしょう。しかし真我は新たな肉体を得て輪廻転生するようなものではないと思います。

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仏教の時間論の一部として「刹那滅」があります。 これは大雑把に言えば 「あらゆる事物は生起するや否や一瞬で消滅し、 一瞬前の事物は一瞬後の原因となっている」 というニュアンスの法則で、 すべての仏教の学派が認める哲学的な時間論です。 刹那滅論によれば 一瞬前の事物と一瞬後の事物はわずかに異なっています。 この現象を連鎖的に継続させることで あらゆる事物が変化していくように見えるわけです。 これを例えば「自分」と言う人間に適応するとすれば、 一瞬前の自分が原因となって、 一瞬前の自分とは僅かに異なる現在の一瞬の自分が生起し、 現在の一瞬の自分を原因として それとは僅かに異なる一瞬後の自分が生起する という流れが延々と続くことで、 同一性を保つ人間が徐々に変化していくという 一見すると矛盾を孕むような現象を説明しており、 諸行無常も諸法無我も破っている訳ではありません。 ではここで、 これまでの刹那滅の説明を受け入れてもらう前提に立って 輪廻転生の設定と刹那滅を比較してみます。 輪廻転生は現世の自分を原因として それとは異なる来世の自分が生起するという現象です。 一方の那滅論は一瞬ごとに生まれ変わっている現象 とも解釈できます。 輪廻転生において生まれ変わる前の「現世の自分」と 生まれ変わった後の「来世の自分」の関係性は、 刹那滅論における「今現在の一瞬間の自分」と 「一瞬後の未来の自分」との関係性を比較すると、 じつは両者は本質的にそれほど大きな 違いがあるわけでもないことが分かると思います。 したがって 現世の自分と来世の自分は原因と結果の関係ではあっても 異なる別の存在なのですから 輪廻転生も刹那滅論と同じように 諸法無我を破っているわけではない、というわけです。

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質問者

2021/1/22 15:31

自分はあるように見えるけれど、刹那滅だから本当は無我なのだよというのが仏教の教えでは?

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私見ですが、 自分、という永遠に変わらないもの、ってのはない、 どんどん変わっていってる、というのと、 変わるそのもの、が影響して輪廻していく、というのは、 あまり矛盾を感じません。 (魂が)輪廻するってのに、でも魂はない、と云ってるじゃないか? という事なら、 「(魂が)」じゃないから、が理由だと思います。 人間の自我、って、プログラムとデータなんで、 日々データ更新されてくし、それにより挙動が変わる。 書き換えも行われる。 COPYも可能。 てとこじゃないでしょうか。 それを「パソコンの箱とか部品」で考えると 間違いよ、って事だと思います。

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>仏教には無我と輪廻転生という矛盾する教えがあります。 あなたがこれを「矛盾」だと思うのは、なんらかの核、つまり魂なり 霊魂なりがなければおかしいと思われるからでしょう。 それではバラモン教になってしまうのです。 ブッダが「そうではない」と言ったところから仏教が始まりました。 「無我」というのは、モノやコトは(現象である)ということなのです。 物体でも実在するものでもないということです。 原因と条件(因縁)によって、ある期間に起こる現象です。 輪廻というのは「現象の継続」ということです。 パーソナリティーの継続ではないのです。

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質問者

2021/1/18 20:44

ある回答者が結生識が母胎に入ると言っているように、肉体が入れ替わってもパーソナリティーが継続することを輪廻転生と言うのではないでしょうか?

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もし、永遠不滅の魂があるなら、輪廻は存在しない。 肉体だけ変化して魂は存続するから。 それは肉体の着替えであって、魂の同一性は保持される。 だから、無我でなければ輪廻はない。

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質問者

2021/1/18 20:40

肉体は着替えされるが、魂の同一性は保持されることを輪廻転生と言うのではないでしょうか?