第二次対戦前に真珠湾攻撃を行う計画を検討中に機動部隊の中核である第一航空艦隊の指揮長官を南雲忠一に任命していますが、

ベストアンサー

0

その他の回答(2件)

0

南雲忠一が第一航空官司令長官に任命された昭16年(1941)4月10日の海軍大臣は及川古志郎大将(海兵31期)です。連合艦隊司令長官は希望は出せますが、人事権は海軍大臣にあり、実際には当時の人事の慣例による年功序列先任順で及川大将が任命しました。 連合艦隊の当時の人事は、 連合艦隊司令長官 山本兼任 第一艦隊司令長官 高須四郎中将(35期) 第二艦隊司令長官 近藤信竹中将(35期) 第三艦隊司令長官 高橋伊望中将(36期) 南雲と同日発令 第四艦隊司令長官 高須四郎中将(35期) 第六艦隊司令長官 平田昇中将(34期) 第十一航空艦隊司令長官 片桐 英吉中将(34期) です。他の艦隊司令長官は、 支那方面艦隊司令長官 嶋田繁太郎大将(32期) 第一遣支艦隊司令長官 細萱戊子郎中将(36期) 第二遣支艦隊司令長官 新見政一中将(36期) 第三遣支艦隊司令長官 清水光美中将(36期) です。南雲と同期の中将昇進は昭和14年11月の同日ですが、海兵のハンモック・ナンバーは南雲8位、高橋10位、新見15位、細萱16位、塚原20位、清水24位です。第一選抜の海軍次官沢本頼雄(3位)は昭和13年11月に中将昇進です。空母集中を提案した小沢治三郎(37期45位)は昭和15年11月昇進で、慣例的に中将経験1年以上の艦隊司令長官にはまだ早かったです。同期の第一選抜の井上 成美(2位)は南雲等と同日中将昇進です。 以上、山本は南雲任命には関与していません。又両人経歴で経歴先に関係する部門はありません。山本は軍政系列であり、南雲は軍令部系列です。

1

派閥人事ですので「対抗派閥の人間」を重役にしないと 抗争に発展する事も。 よって、妥協案として「仕方なく」対抗派閥の重鎮・南雲を 入れざるを得なかった・・・という所でしょうね(>_<)

1人がナイス!しています