信長はうつけですね?

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「うつけ」という言葉は何となくその語感から「ぼけ」のような意味合いにとられていますが、実は「うちつけもの」が転じた言葉であり、要するに途中の手続きを省略してし、無理やり形をつけてしまう粗略な人を指します。ゆっくり落とせばいいのに、いきなりパンツを脱いじゃうみたいな。 人生五十年で天下布武を狙う信長としては短気にならざるを得なかったという事情もあり、その人生は超特急でしたね。それが光秀のような教養人でもあった武将には堪えきれなかったでしょう。秀吉も、この信長の性向を恐れており、信長の死後は結構我慢強く、思慮に思慮を重ねていますが、晩年にはボケのようなものもあり、寿命が近づいた頃から失敗を重ねた。まぁ天下取りなどというのは人間には不可能に近いことを無理にやり遂げるのだから仕方がない。 家康などは人質時代から苦労を重ね、晩年になって初めて天下人になっているので、この先輩たちの失敗をいやというほど見て来たでしょうね。人間に対するものの見方が鋭い。 信長から関東に遷るように命じられた家康が関東に赴いて優先的にやったことは、廃墟に近かった江戸城の修復でも、軍事力の整備でもなく、関東の土豪や有力者との融和を図ることです。彼らの気持ちになって見れば、よそから来た狸オヤヂだぐらいに思っていた家康の人格に触れ、ほっとしたことでしょう。江戸時代2百数十年の礎は家康が一人で作った。家康の最大の長所は物事の順序をけして間違えないことです。 引き換え、信長は踏まなければいけない手順をすっ飛ばす常習犯であった。しかし前にも指摘したように、信長の時代には周囲が敵だらけで、手順を踏んでいる余裕などある道理もなかったでしょう。