wikiに旧日本海軍で航空畑でミッドウェー海戦まで機動部隊の航空参謀で失敗の要因となった兵装転換や山口多聞が進言した第二次攻撃隊の発進より第一次攻撃隊の収容を優先して3空母の被弾を誘引したから、終戦間際ま

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他の方も答えてはいますが、南雲機動部隊での航空参謀は 操縦士資格を保有!でも~実戦経験0%だったが、南雲 機動部隊の司令官、南雲中将からは信用度が高くて GF(連合艦隊)の司令長官、山本五十六海軍大将からも 高評価だった、悪名高き!源田実海軍中佐(終戦時には 海軍大佐、少将等での将官では無かった) でも、戦後には~自ら・・・戦闘機乗り、ファイターパイロットの 神様!などと自画自賛! 源田実大佐は、終戦前には、四国の愛媛県の松山市での 日本海軍第343航空隊(紫電改での有名な、戦闘機部隊)での 基地司令をしていたのでね。

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南雲忠一のことですか?であれば彼はその後激戦地区へ出され、戦死していますが・・・サイパン守備の司令官だったかな?

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源田航空参謀でしたら終戦間際に松山航空隊の司令(大佐)になり 米艦載機の要撃を指揮しました。戦後は空自に入隊して空幕僚長に 昇進し、退官後は国会議員として国防関係に腕を振るいました。

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何を聞きたいのか全くわかりません 他の方が書いてるように主語がない 意味のわかるように書いてください