江戸時代文化期には、庶民の間で文学作品が読まれるようになりました。 文学作品が庶民の間で読まれるようになったのは何故ですか?

日本史 | 歴史18閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

その他の回答(2件)

0

読書層が庶民にいる国は、当時稀でした。日本の識字率は世界有数だったと言われています。 以前寺子屋を調べたとき、驚いたのはその数の多さでした。今の小学校区に多数あったからです。もちろん小規模だとは思いますが街中では至るところにありました。それは漁村・山村を問わず、津々浦々に存在しました。 中世、連歌師などが登場しますが、職業作家は存在しません。名だたる古典も個人の日記や公のプロジェクトによるものでした。「ベストセラー」が存在しませんでした。なぜなら版元(出版元)自体が存在しなかったからです。 江戸期初頭、京都に版元が登場します。上方に版元が増え、瞬く間に市中に数多くの本屋が並び、上方で出版文化が育まれていきました。 三代家光の頃になると、江戸にも本屋が登場します。江戸の版元は大きな需要に支えられ、成長産業になりました。後に歌麿・写楽を世に出した名版元、蔦屋重三郎も元は、吉原遊郭のガイド本「吉原細見」を扱い成長していました。 元禄期までは上方中心となりましたが、化政期になると江戸が版元数で多数を占めるようになりました。 理由は、先ほどの識字率上昇に加え、人口が集中する中、娯楽として読み手と売り手、書き手のwin win の関係が成立していたからでした。全国から集まり江戸藩邸に暮らす武士たちの割合の多さもありました。 版元も地方に広がり、地方での読者層の充実も伺えます。東北から九州に至るまで版元が登場します。地方で学問を研究する者も増えました。日本の利点は、日本語単独で学べたことです。当たり前のようですがヨーロッパでは、ある一定の階級が占有するラテン語の学術書がありました。 読書する層は、本を売り歩く行商や「貸本屋」「古本屋」によってさらに庶民に広がりを見せます。 幕末・明治初頭に日本を訪れた外国人は皆、子を背負いながら書付を読む女性の姿や看板や瓦版など文字文化が庶民の日常風景になっていることに驚いています。その知性と好奇心、金属加工を自由に操る工芸品などの加工技術とを合わせ、ペリー提督は西洋機械文明における日本の発展を予言しています。

1

庶民層に、文字を読める者が増えたのが、要因だと思います。 寺子屋等での読み書き教育が奏功したのでしょう。

1人がナイス!しています