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2021/1/21 6:34

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仏教の教え的には潔癖症というのはどのような欲や苦しみに分類されますか?潔癖症の人が汚れを回避するのは有害物質によって健康を損なうことや死ぬことを恐れているからだと思うので、生老病死の病と死への恐れでは

宗教 | 哲学、倫理184閲覧

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質問者

2021/1/23 8:57

ありがとうございます。汚れを恐れて綺麗にすること自体は悪いことではないけど、極端になると良くないということですね。中道を行くのが一番難しい気がするのですが、どのようにすれば汚すぎず綺麗すぎずを実践できると思われますか? 潔癖症の人の場合、汚れに関して普通の人のように普通の判断することができず、たとえば、目に見えないような汚れや有害物質を恐れて何度も手を洗ったり清掃したりしてしまいます。そして、それでも汚れが落ちた気がせず、物であれば捨てたり買い直したりすることもあります。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。潔癖すぎず汚すぎず中道を目指してみようと思います。中道の考え(2つとも)が特に気に入ったのでベストアンサーとさせていただきます。他の方のご回答もとても参考になりました。みなさんありがとうございました。仏教の観点から潔癖症の解決策を質問して良かったです。皆さんのアドバイスのおかげで解決できそうな気がします。

お礼日時:1/27 15:10

その他の回答(10件)

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できるだけ家の中は裸足でいることです。 昔の人はそれが当たり前でした。 裸足だと埃に触れて避けられないので、掃除をするのです。

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潔癖症は、『怒り』が根底にあります。 自分の健康や安全を脅かすものに対して排除しようという気持ちが過剰に働いているからです。 怒りというと、大きな声でわめくイメージがありますが、そういう形だけではありません。 排除したい気持ちが派手に現れれば、怒鳴ったり、暴力という形になりますが、静かな形で現れると脅迫神経症という形になります。 どちらも、自分の領域に気に食わない存在がいる事を許せない、不寛容な心の現れです。 対処法は『怒り』と同様ですが、「自分の領域を守りたい」というのは生命の基本欲求であり、仏教においても、あらゆる煩悩の根源である『無明』にあたります。 これを完全に制御できるようになった阿羅漢(ブッダと同じ最高位の悟りに達した聖者)は人間ではないと言われるのは、そのためです。 ですから、潔癖症を完全に治療しようと気負い過ぎず、無理のない範囲で寛容な心を広げていけるように、ご自分の心を観察されると良いと思います。

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質問者

2021/1/21 23:40

ありがとうございます。まさにその通りだと思います。潔癖症の人には自分の家の中やベッドの上など特に絶対に汚したくない聖域という領域があるのですが、それも潔癖症の人特有の奇行というわけではなく、生命の基本的欲求ということだと思います。 おっしゃる通り、自分の場合、怒鳴ったり暴力ということはまったくしないので、そのために脅迫神経症としてあらわれているのかもしれません。 潔癖症が生命の基本的欲求で、ブッダでない限り完全に無くすことができないと聞いて気が楽になりました。排除の気持ちや不寛容な心が過剰に働きすぎているので、少し抑えられれば良いということですね。 自分の心を観察すれば、自然と寛容な心を広げられるということでしょうか。 おすすめの心の観察方法はありますか?それとも特に方法にこだわらず心を観察してみるだけでよいでしょうか。

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潔癖症は強迫観念によるもので、そのほとんどの原因が精神的なものですから、仏教の教えによって解決可能です。 仏教による精神安定と深呼吸(腹式呼吸)で治ります。

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質問者

2021/1/21 16:23

ありがとうございます。具体的にはどんなことをするのがおすすめでしょうか?

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潔癖症は「汚いのが嫌」という心理ですから、仏教で言う「四苦八苦」の中の、「怨憎会苦」(おんぞうえく)、つまり「怨み憎むものに出会う苦しみ」に近いと思います。 仏教的に「こうすれば治る」などと軽々に断言はできませんが、ひとつの方法としては、「今自分に潔癖症の反応が出ている」と思ったら、その時の心身の状態について慎重に観察してみるのがいいと思います。 仏教の瞑想は必ずしも座ってやるものではなく、歩く瞑想というのもありますが、目的はいずれも、ふだん気づかずにやっている心身のクセみたいなものに気づくことです。 おそらく、かすかなものであっても、何かしら定型的な反応が出ている(呼吸に変化があるとか、頭の特定の部分に嫌な感触があるとか)と思うので、それに気づければ、完全にコントロールはできないまでも、それに向けて一歩を踏み出したことになります。

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質問者

2021/1/21 16:20

ありがとうございます。潔癖症が怨憎会苦に近いというのは意外でした。たしかに、そう言われてみるとそうですね。汚い物を避けるのは嫌いな人を避けるようなもので、手を洗ったり汚い物を綺麗にするのは嫌いな相手を抹消したり議論したり文句を言ったりして相手を変えようとするようなものでしょうか。 潔癖症の反応が出た時に心身の状態を観察してみようと思います。効果がありそうな予感がします。

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潔癖症の程度にもよると思いますが、私も現代に慣れてしまいました。 清潔なトイレで要を足したい、綺麗なものに囲まれていたいという〈欲〉であり煩悩でしょうね。 人間である限り、排泄するものですし、排泄物を誰かが処理しなければ、糞だらけになります。 昔は汲み取り式のトイレで糞尿を溜めておき、畑の土に埋めて養分とした野菜を食べました。 この世の循環サイクルを考えれば当然のことたのですが、野菜を食べる時、糞尿を栄養としているのだと、想像してしまう時がありましてね(笑) 煩悩だと思います。 トイレ掃除で心を整えなくては、、と思います。

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質問者

2021/1/21 16:36

ありがとうございます。たしかに潔癖症でなくても現代人であれば昔の汚いトイレはつらいかもしれませんね。 有害物質への恐怖もあるのですが、綺麗なものに囲まれていたいとか持ち物を綺麗にしておきたいという欲もたしかにあります。 トイレ掃除が良いのですね。