徳川慶喜は、

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さま、丁寧な説明、解説、どうもありがとうございました!

お礼日時:1/22 21:50

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「一橋慶喜」は通称で、名字は「徳川」。 いわゆる「後三卿」の一つで、一橋家は、江戸城の一橋門の近くに邸宅があったことに由来。 古地図にも「一橋殿」と記載されています。 https://3.bp.blogspot.com/-3lIP8XRX4Mc/U_KYslqG8OI/AAAAAAAAYfo/9xAStXSa4Q0/s1600/%E5%8F%A4%E5%9C%B0%E5%9B%B3.gif わかりやすくするために、そう呼ばれます。 徳川光圀を水戸光圀と呼ぶようなものです。 通称でも、一橋慶喜と呼ぶのは「一橋家の当主であった時期だけ」です。 徳川慶喜は、幼名は「七郎麿」で、のちに父親の徳川斉昭の一字をもらって「松平昭致」を名乗ります。 当時のルールとして、御三家でも、「当主」か「嫡子」しか、「徳川」も「将軍の一字を付けた名前」も「名乗れません」。 そして、徳川斉昭の嫡子は、長男の徳川慶篤でした。 そして一橋家の養子になって一橋家の当主となり、将軍の徳川家慶の一字をもらって「徳川慶喜」(通称「一橋慶喜」)となります。 そして徳川宗家を継いで「徳川慶喜」です。

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水戸徳川時代は徳川慶喜。 一橋家継いで一橋慶喜。 徳川宗家継いで徳川慶喜。直ぐ後に将軍になった。

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徳川御三卿と呼ばれる家の1つである一橋家の養子であったからです。 徳川家には特別な家柄として将軍家の他に、御三家と御三卿の家がありした。 御三家は尾張、紀伊、水戸に領地を持ち、それぞれ尾張家、紀伊家、水戸家と通称されます。 御三卿は江戸城の田安門、一橋門、清水門に屋敷を持っていたことから田安家、一橋家、清水家と通称されます。 これらは、あくまで正式な名字は徳川ですが、同じ徳川を将軍家と区別するために通称されるものです。 徳川将軍家に跡継ぎがいない時は尾張家、紀伊家、田安家、一橋家、清水家のいずれかから将軍家の養子として跡継ぎを出すこととなっていました。 慶喜は水戸家の出身ですが、水戸家には将軍家の継承権がなかったのですが、まず一橋家の養子に入りその後紆余曲折あり慶喜が一橋慶喜として将軍家の跡継ぎとなって将軍家に入り、15代目将軍となっています。

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