ID非公開
ID非公開さん
2021/1/22 10:41
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太平洋戦争時期の軍上層部は薩長というよりそれ以外の藩出身者のほうがおおかったんですか?大正に薩長派閥はおとされたんですか?
太平洋戦争時期の軍上層部は薩長というよりそれ以外の藩出身者のほうがおおかったんですか?大正に薩長派閥はおとされたんですか?
軍だけでなく政界についてもおねがいしまさ
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そうです。薩長支配なんてのは明治期の頃の話でしかありません。 海軍は明治中ごろには「藩閥」から「試験を中心としたシステム」への切り替えを指向しており、それを推し進めた(事実上の建軍者でもある)薩摩出身の山本権兵衛は最終的にシーメンス事件で身を引いて、これで海軍の薩摩藩閥支配は名実ともに終焉しています。 陸軍も同時期には「藩閥」というより「山縣閥」に変質しており、長州藩出身者でも山縣の仲間になれなければ上にはいけず、長州出身でなくとも山縣のメガネに適えば上にいけるようになりました。山縣はこのやり方で軍以外にも自派閥を広げるようになり、明治末期には「官僚界」「軍」「政界」の三つに自派閥を持つ最強の元老として君臨しています。ただ、これは山縣個人の信条によって成り立つ派閥であり(山縣は一度見込んだ相手は見捨てず何度でもチャンスを与える人でした)、山縣が亡くなった後は急速に瓦解していきます。以後、日本においては「官僚」「軍」「政界」の三つを調停する能力を持つ存在がなくなり、これが対米開戦につながっていくことになります。 ……ま、そんなわけで、1920年代に陸軍の若手エリート軍人らが「藩閥支配の打破」を叫んでいたのは実のところ「藩閥のせいにしていた」だけであり、彼らの考える「日本が米英相手に国家総力戦をやることを前提とした国造り」という主張を「そんな無茶をやれば日本が滅ぶ」としてまったく相手にしなかった山縣らの世代の発想を否定するために、わざわざ「藩閥」という言葉を使っていたんです。後は親の敵討ちという妄想の奴隷だった東条英機とかな。
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質問者
2021/1/22 11:40