“義倉と常平倉”は古代のモノで、“社倉”は近代に入ってからですね。
なので、結びの部分が、逆なんです(^^)/
正しくは、“社倉は近世になってから設置された”。
“義倉”は基本用語ですが、それ以外は少し細かいですね。
このような問題は出ないと思いますが、念のため、以下で少し解説します。
・・・ただ“常平倉”の用語は、難関では出題される可能性はありますが・・・。
先ず“義倉”です。
これは多分、教科書に載っているでしょうが、実は歴史的には余り意味のない制度。
余分ですが、“義倉”について定めた“大宝・賦役令”の関係部分を、以下に照会しておきます(^o^)
“義倉条、
一位以下、及び、百姓、雑色の人等は、みな戸の粟を取り、これを以て義倉とすること・・・”
とあって、
“粟”(米も可:省略部)を豊かさの程度(省略部に記述)に応じて納め、災害や飢饉に備えるモノです。
次に“社倉”です。
これは、江戸時代に入って、そのシステムが中国から伝わったモノ。
なので、寛政の改革で松平定信が、“義倉の復興”とともに、“社倉”を設けようとしたのです。
最後に“常平倉”!
これは奈良時代に藤原仲麻呂(後の、恵美押勝)が、設けたモノ。
頻発する飢饉対策と“運脚夫(うんぎゃくふ:自費で、調庸を中央に運ぶの役を当てられた農民)”の救済(路上で餓死する者多く)のために(米価調整と説明するモノもありますが)設置。
これは唐の制度を真似たモノで、諸国に設置。
凶作の時に蓄えた米を“有償(布等<代用貨幣>と交換)”で放出し、豊作の時に補充。
そしてその差から生まれた利潤で、地方へ戻る“運脚夫”を援助しようとしたモノです。
そして“平準署”という役所も設けますが、約10年で共に廃止されたモノ。
こんなんでどうですか(^^)/