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2021/1/26 10:14

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火垂るの墓のラストの清太と節子が現代の神戸の町を見つめるシーンが伝えたいことは?

アニメ | 日本映画49閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

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現代においてもなお清太と節子は 成仏できず神戸の街を彷徨っているのだなと

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監督は意図を語ってます。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14181152649 確か映画の中で他の人がコミュニケーションをとろうとしたり、家に帰るよう勧めたりしてた場面が幾つかあったと思います。 でも清太は自分から進んで孤立化していってました、周りが孤立化させたわけじゃなく。 おばさんに散々嫌味を言われてましたが、虐めて追い出そうとしていたわけじゃないと思います。 なのに清太は人とのコミュニケーションを拒否し、嫌な事は一切我慢しないという感じで、一方的に出て行ってしまってました。 そういうところもニートや引きこもりの「類似性を持つ現代の青少年」に繋がると思います。 現代はこの当時より文明が発達し、人が独りでもかなり生きて行けるようになりました。 それでも完全に独りでは生きて行けないと思います。 現代においても人の中で生きなければならない筈で、でもそこにはいい事だけじゃなく、嫌な事だってある、だから人とのコミュニケーションは生きて行くのに必須の筈です。 嫌な事からは逃げ、自分のやりたい事だけをする、その結果が孤立化で、その時は幸せかもしれないけど、それじゃ済まないわけです。 それが監督の「人生のある時期をくり返し味わい返して生きるということは、非常に不幸なことだと思うんです。清太の幽霊を不幸といわずして、なにが不幸かということになると思います」という言葉で、結末のシーンで表しているんだと思います。 そして「類似性を持つ現代の青少年」に訴えているんだと思います。