ID非公開ID非公開さん2021/1/26 10:1444回答火垂るの墓のラストの清太と節子が現代の神戸の町を見つめるシーンが伝えたいことは?火垂るの墓のラストの清太と節子が現代の神戸の町を見つめるシーンが伝えたいことは? …続きを読むアニメ | 日本映画・49閲覧・xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25共感したベストアンサーhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q112378553510松のほとりでドンジャらホイ松のほとりでドンジャらホイさん2021/1/26 11:48監督は「清太は現代の若者のつもりで演出した」と言ってますね。 身勝手な清太は現代人の暗喩であり、決して昔の人間では無いという事。 これは「戦争を起こしたのは過去の日本人だ、現代人とは何の関係も無い」という思い込みを否定する主張です。 日本人が75年前から全く進歩していないのなら、また戦争をおっ始めてもおかしくありませんよねえ…ナイス!
ベストアンサーhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q112378553510松のほとりでドンジャらホイ松のほとりでドンジャらホイさん2021/1/26 11:48監督は「清太は現代の若者のつもりで演出した」と言ってますね。 身勝手な清太は現代人の暗喩であり、決して昔の人間では無いという事。 これは「戦争を起こしたのは過去の日本人だ、現代人とは何の関係も無い」という思い込みを否定する主張です。 日本人が75年前から全く進歩していないのなら、また戦争をおっ始めてもおかしくありませんよねえ…ナイス!
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q112378553510sat********sat********さん2021/1/26 15:36現代においてもなお清太と節子は 成仏できず神戸の街を彷徨っているのだなとナイス!
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q112378553510eig********eig********さん2021/1/26 13:47監督は意図を語ってます。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14181152649 確か映画の中で他の人がコミュニケーションをとろうとしたり、家に帰るよう勧めたりしてた場面が幾つかあったと思います。 でも清太は自分から進んで孤立化していってました、周りが孤立化させたわけじゃなく。 おばさんに散々嫌味を言われてましたが、虐めて追い出そうとしていたわけじゃないと思います。 なのに清太は人とのコミュニケーションを拒否し、嫌な事は一切我慢しないという感じで、一方的に出て行ってしまってました。 そういうところもニートや引きこもりの「類似性を持つ現代の青少年」に繋がると思います。 現代はこの当時より文明が発達し、人が独りでもかなり生きて行けるようになりました。 それでも完全に独りでは生きて行けないと思います。 現代においても人の中で生きなければならない筈で、でもそこにはいい事だけじゃなく、嫌な事だってある、だから人とのコミュニケーションは生きて行くのに必須の筈です。 嫌な事からは逃げ、自分のやりたい事だけをする、その結果が孤立化で、その時は幸せかもしれないけど、それじゃ済まないわけです。 それが監督の「人生のある時期をくり返し味わい返して生きるということは、非常に不幸なことだと思うんです。清太の幽霊を不幸といわずして、なにが不幸かということになると思います」という言葉で、結末のシーンで表しているんだと思います。 そして「類似性を持つ現代の青少年」に訴えているんだと思います。ナイス!
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q112378553510roz********roz********さん2021/1/26 10:44現在の平和を壊してはならないナイス!