回答受付が終了しました

世界史の課題です、、

世界史78閲覧

回答(2件)

2

ホーチミンはベトナム独立の志をもって宗主国であるフランス に渡りました。 しかし、当時の欧州は帝国主義が主流派でしたので、植民地の 独立運動に対しては冷淡です。祖国独立の志に理解を示してく れるのは左翼だけでしたから、ホーチミンが彼らに接近したの は自然の成り行きです。 また、ホーチミンがパリにいた頃、ロシア革命が起こります。 当時、共産主義は植民地経営を行う帝国主義を打倒する最新の 思想でした。 また現在では、民族自決はナショナリズムの一部でむしろ右翼 と親和性が高いのですが、元々は左翼が20世紀の初頭に宣言 した権利・思想だったのです。 ホーチミンは民族自決に関するレーニンの著作に大きな影響を 受け共産党に入党し、ソビエト連邦に渡ります。 しかし、ホーチミンにとって重要なことは共産主義の実現より 民族自決、ベトナム独立でした。そのため民族解放を重視する 姿勢はコミンテルンからは異端視されていたといいます。 その後コミンテルンの路線転換により民族問題を重視するよう になったり、他のベトナム人共産主義者がフランスに弾圧され てしまったことにより、ホーチミンはベトナム独立運動の主流 となっていきます。 後は、自分で適当にまとめて下さい。

2人がナイス!しています

1

ホーチミンが独立運動を行っていたころ、列強の帝国主義は資本主義の発展形であった。ホーチミンは反帝国主義と民族自決を実現するためには反資本主義でなければならないとしてソヴィエトに接近し、社会主義の理念を導入して共産党を組織した。

1人がナイス!しています