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2021/2/16 21:29

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犬鳴村で質問。あのトンネルってダムの底につながってるのですか?というか元々の村ってどこにあったのですか?トンネルの先?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

真面目に作品について説明してくれた方に。

お礼日時:2/23 6:21

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新犬鳴トンネルおよび旧犬鳴トンネルは福岡県宮若市と同県糟屋郡久山町の境にあって福岡県営犬鳴ダムの底にはつながっていませんし、両トンネル共に犬鳴ダムから数キロほど離れた山の中腹付近にあります。犬鳴ダムの数百メートル(?)底には新幹線福岡トンネルが通過していて、福岡トンネル工事を請け負っていた大手ゼネコンの三井建設と大成建設は犬鳴集落に幾棟もの下請作業員宿舎を建設し、犬鳴集落の中心にあたる田圃に作業用立坑を掘り、トンネル掘削工事を進めたそうです。 犬鳴村という村は存在していません。福岡県宮若市大字犬鳴です。 犬鳴谷村(犬鳴村ではない)は江戸時代中期の元禄四年(1692)に福岡藩庁が地行町(福岡城下)の組屋敷に住んでいた御譜代組足軽たちに移住を命じて成立した村でしたが、明治二十二年(1889)四月の新市町村制公布により周辺の4村と合併し鞍手郡吉川村を発足。犬鳴谷は吉川村内の集落となり、鞍手郡吉川村大字犬鳴となりました。その後、合併を繰り返し、現在は宮若市大字犬鳴となっていますが、犬鳴ダム建設に伴い集落は全戸が移住しました。 藩有林の維持管理のため犬鳴谷に移住を命じられた御譜代組足軽たちは藩有林維持管理の職務の他に農民一揆など有事勃発に備え、藩庁から藩侯紋入りの陣笠と御貸具足・鉄砲・槍・陣旗を貸与され、年に3回または4回ほど福岡城に出向き、鉄砲および槍さばきの演習を義務付けられていました。ちなみに犬鳴谷の御譜代組足軽たちは苗字・両刀の帯刀・羽織と袴の公的着用を許されていた士分扱いの上級足軽だったそうです。 ※画像は鉄砲と槍さばきの演習を終えて、福岡城の城門から犬鳴を含む領内各地への帰路を急ぐ御譜代組足軽たちの様子を描いたものです。御譜代組足軽たちは藩庁からの手当や旅費を節約し家計に充てるために野宿することもあったそうです。

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質問者

2021/2/20 22:11

映画の設定を質問してるのでモデルになった村の話をされても

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謎ですw っていうか話が適当すぎてあれこれ意味不なので、論理的に追求しても意味ないかと トンネルの先が村で、そこがダムに沈んでるんだから、トンネル出てすぐダムって感じでは? で地形の高低差で言うとやはり意味不明 トンネルが異常に長く超キツい下り道だとか(不自然...)、トンネル出てからもかなりの下りが続いて相当先行ってから村があるとか(どうやって徒歩で行ったんだ...)、無理矢理ダムの底って位置もありえるかも(スゲーこじつけ)