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2021/2/19 11:19

55回答

歎異抄、摂取不捨の御利益を得る。についてですが不明瞭で理解出来ずにおります。

補足

『念仏申さん』と思い立つ心がおこるとき、すなわち摂取不捨の御利益にあずけしめたまうなり。抜粋 弥陀の救いは死んでからではなく生きている時からの救いであると思い信心を賜った際(他力)人智で理解出来るのかな?と思い質問に至りました。感得したのお話を人伝で聞いたこともあるので。

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ベストアンサー

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頭脳で理解は出来ないと思いますが、理解出来た時は、もう既に覚っているのだろうと思います。 感得した者は多くても、生きたまま仏に成っている訳ではございません。それは感得した本人が己が仏に至っていないことはよく分かっているハズです。 感得の体験を通して自分なりに説明をされる方は多いと思いますが、もし理解していると言いますならば、仏を宣言しているのと変わらないと思います。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様ご意見頂きありがとうございます。合掌

お礼日時:3/1 21:24

その他の回答(4件)

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阿弥陀如来が来迎して、極楽浄土に往生する方法を授かる事 帰命ですよ

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宝くじに当たって何億円も貰えば、大抵の人は幸福感を得ますが、これは大金という大きな「他力」を得たからです。したがって、阿弥陀様による他力を実感したら、同様以上の幸福感を得られるのではないでしょうか?

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