日本軍の戦車はポンコツですか?米英ソ独の戦車が強くなり過ぎただけですか?

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実際、BTシリーズや時代錯誤の多砲塔戦車をドイツ軍にやられ、装甲の厚いKVシリーズを開発投入、その装甲厚に泣かされたドイツ軍は、四号戦車の砲の強化・追加装甲、タイガー戦車開発投入、T34の傾斜装甲に触発されて、五号戦車パンターに取り入れたりって感じですからね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございます。 こんなに回答が来ると思わなかったので、早々に打ち切らせていただきます。

お礼日時:2/23 22:15

その他の回答(9件)

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返信はお断り氏> T34は身長制限がありませんでしたっけ?小柄なアジア系が多く選ばれたというのは、間違いですか? sin氏> >独ソは「電撃戦」を可能とする速力、重火砲、強装甲を求めました。 そりゃ間違い。 敵前線の弱い所を突破し、敵背後の連絡線や補給線を断ち切って、敵主力をマヒやパニックに陥れるのが電撃戦。具体的な攻撃対象は、補給基地を守る機関銃陣地や補給車両なので、低火力と薄装甲で良い。グデーリアンは「堅陣は迂回せよ。」と言って、強敵との対戦は避けられた。典型的な電撃戦である対フランス戦の主力は2号戦車だった。大砲すら積んでいない。 ソ連は、電撃戦では無くて、縦深戦略。これは、ガッツリ砲撃の後に戦車と歩兵で攻め込み、敵が退却しても、またもやガッツリ砲撃と戦車と歩兵による蹂躙。電撃戦とはまったく違う。重火砲、強装甲は必要だがね。

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ポンコツでも無いし、対処も始めてました。 単純な話で、アメリカが昭和18年終盤にM4戦車を投入するまで、特に困って無かったのです。 日本は特に機甲戦で困って居なかったので、ソ連と再戦するまでに間に合えば良いと考えて新型戦車を開発していました。 ただ、当初は150t(全備)の巨大戦車で突破するつもりだったんで。 これが非実用的と判断されます。 また、この時、巨大戦車の後ろで支援する中戦車の主砲として長砲身57mm砲を開発していましたが、後にソ連戦車に力不足と判断されます。 少々無駄な開発に注力していました。 まだ、ドイツの負ける可能性が薄かった頃、日本はソ連との中立条約は更新せずに失効させるつもりだったようで。 他方で、在ドイツ日本大使館の武官から得たソ連戦車の情報を元に戦車を開発していました。 しかし、当時の日本人の体格では30t程度の戦車の操縦が難しいとか。 7.5cm砲弾の装填も大変だったため、油圧による操縦アシスト装置や、半自動装填装置を開発していました。 要は欧米露と同クラスの戦車を作ろうとすると、日本人の体格の小ささから、余計なアシスト装置や自動化が必要で、開発ハードルが高くなりました。 何かデタラメな回答がされてますが。 日本は昭和6年には敵戦車用の砲弾を開発しています。 (採用は翌年で九二式になります。) 昭和8年の熱河作戦で既に戦車のみの急襲作戦を実施しましたし。 また、ノモンハン以前の昭和14年3月に開かれた戦車研究委員会にて、次の中戦車は対戦車戦重視に決めています。 よく、旧軍の戦車は歩兵支援用と言われて思考停止する人が居ますが。 敵が戦車やトーチカを使う以上、対抗しない訳にはいかないので、旧軍の戦車も対戦車戦闘を想定しましたし。 戦車のみの急襲作戦なんて、もしかしたら熱河作戦での、日本が世界初なんじゃないかと思うんですが。 (まあ、ホイペットの追撃戦が先でしょうけどね。) 頼むから、ノモンハンで対戦車戦を意識したみたいな回答はやめて欲しいなあ。 ちなみに日本軍も戦車用に 550hpガソリンエンジン 500hpディーゼルエンジン が開発出来てます。 ガソリンエンジンの方は旧式の航空エンジンのデチューンで、原型は早くからありました。 必要を感じた時期が遅いだけで、エンジンが無かったと言うのもデマです。 あーあと、港のクレーンとか言うデマも定番なんで。 先にデマと言っときます。

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ポンコツではなく 装備、用法上の違いです。 独ソは「電撃戦」を可能とする 速力、重火砲、強装甲を求めました。 これがノモンハンで「BT戦車」に 圧倒された理由です。 (BT戦車:T34の1代前の主力戦車。 米国のクリスティー戦車から技術をぬ盗んだもの。)

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エンジンがネックです。 欧米の戦車は300~500PSのエンジン搭載出来たので 装甲や火力の強化出来ましたけど、九七式のエンジンは 170PSしかありませんから、ほとんど強化出来ませんでした。