なぜかつて政治や技術で九州がリードした時代があったんでしょうか?

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補足

特に佐賀や長崎がそうでした

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九州の大陸からの玄関口になり得る、南部九州が何故それほど文明が発展しなかったかと言えば、火山性土壌地帯なので当初水田稲作に向いてませんでした。 現在の田は長い間に土壌改良された結果です。 北部九州は食料増産に成功し人と文明が集まりました。

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地理的に朝鮮から近かった為、中国やより西方にある国々の技術やその技術を身につけた人々が上陸しやすかったというのは聞いた事があります。それ故に北部を中心として独自の文化を築いたとか。 また、江戸時代の話を致しますと九州というのは元々大規模な領地を持つ外様大名を幕府が押し込めた土地であり、例えば薩摩藩は琉球を占領して黒砂糖の密貿易やら中継貿易の横流しやらでかなり儲けていました。 地理的に中央政府からはかなり離れていますので中央の権力が弱まれば自ずと力を蓄えやすい地域と言えるでしょう。

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江戸時代、日本がいわゆる鎖国を行っていた時に、長崎には出島が作られて、佐賀県が長崎警備を任されました。海外からの情報はいち早く長崎に入って来たようです。 1824年にはシーボルトが長崎(出島の外)に鳴滝塾を開校して、日本人相手に医学や蘭学を教育していました。塾生はのちに医者や学者となって活躍しました。 当時の医者は「長崎に勉強に行った」と言えばハクがつく、と言われるほど、長崎の医学教育は進んでいたようです。 佐賀藩は長崎警備を任されていて、十代藩主の鍋島直正は積極的に人材育成を行いました。日本初の鉄製の大砲を作るなど、成果を上げていました。ペリーの黒船がやってくる3年前に大砲は完成していたそうです。