ID非公開

2021/2/25 12:06

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人生の真理はどこにあるのか

補足

蛇足ですが、仏教で言うところの 無我の境地とは現世で実現することが できるものではなく常世でしか実現できない 概念だと思われます。 何故ならば死亡することは客観的事実であり、 科学的根拠もあり、自然の摂理だからです。 科学や科学技術が進歩して不老不死という言葉が 実現したとしても人間は常に無への不安を 抱いたまま生きるほかないのです。 何故ならばそうした 科学や科学技術に依存しなければ 生命を維持できないからです。 そのため無への不安を無くすただ一つの方法は 無我の境地に達するほかないということです。

哲学、倫理80閲覧

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質問者

2021/2/25 23:43

一切の囚われが消えた境地、とは おそらく無とか空とかいう概念です。 つまり死を意味すると思います。 死は誰にとっても苦だと 私は考えています。 仏教の教典は、無とか空という 言葉がたくさん出てきます。 御釈迦様はとても冷静にその事実を 述べたのだと思います。 現代の哲学はそうした段階にきてしまったため沈黙するほか無くなったのではないでしょうか?

その他の回答(9件)

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人生の真理はないよ うつろいゆくもんだもん 真理そのものがないよ 宇宙の臍みたいなもんだもん わたしには事実はわかるけど、真理はわからない 真実もわからない 理性は理性だけで独立して(分かれて、または分断されて)るんじゃなくて、感情(感性)と「お対」 無我を体感することはできるよ 何ものでもなく、天地を繋ぐ1本のほっそーい糸のなかみみたいな感じっていえばいいかな

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人間同士の共通の認識が世界のすべての祖になります 世界はありのままで存在していても、人間が認識という色で染めているために神だとか霊だとか英雄だとかの認識が存在します 人間と人間の関係がすべての祖です むしろ大切なモノは人間以外にあり得ないとさえ言えます

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真理というか本当の仕組みはあるはずですが、知ったところで意味は無いと思います。産まれた目的に対して知る必要がないからかな? 結局考えたところで推測の域、断言できませんからね。行き着く所、与えられた人生を一生懸命生きることが大切なんだと思ってます。

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人間の真理は普遍的にあると思うが、人生の真理などあるのだろうか。敢えて言うとしたら人生をどう生きるかより、どう生き抜くかではないのかなと思います。

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質問者

2021/2/25 22:01

普遍や絶対という言葉は現代の哲学では否定されています。 普遍や絶対というのは単なる言葉に過ぎません。 言葉を意味づけている直感が、 真理や真実だと思わせているのです。 そのため真理や真実はあるのかもしれないですが、 それを言葉で証明することができないのです。 回答の後半部分の「敢えて〜」の部分はよくわかります。 誰でも生きていくのに試行錯誤しているからです。 それは真理とか真実という言葉抜きに 実感しているので概ね賛同しています。

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真理は思考ではとらえられないものです。 真理は直接体験する以外に悟る方法はありません。 仏陀がどのようにして悟りを開き、どのような教えを説かれたのかを小説にしました。 「仏陀 ~耳ある者どもに不死の門は開かれた~」 https://ncode.syosetu.com/n1531gk/