「そのとき、わたしは小学五年生だったが、玉音を聴いた瞬間、なにか異様に甲高く、
きんきんしたお声だ、という印象だった。
「朕・・深く・・」というところだけはわかったが、そのあと、なにをいっているのかほとんどわからなかった。
ただ、日本が戦争に負け、これで戦争が終ったのだ、ということだけはすぐ理解できた。
瞬間、わたしは母の手を握ったが、なにか、すごおくほっとした、よかったぁ、という思いでいっぱいだった。
これで、もう戦争がなくなるとは、なんと嬉しいことなのか。なにかみなに伝えて、小躍りしたいような気分であった。」
渡辺淳一(一一)
「私は毎日、捕虜収容所を訪れていたから、天皇の降伏宣言に対する彼らの反応をつぶさに知ることができた。落胆し、憤慨している者もいた。また、敗戦を異常なまでに喜んでいる者もいたが、彼らは軍部による支配を忌み嫌い、戦後日本の将来に期待をかけていた将兵たちだった。しかし、ほとんどの日本人捕虜に広く浸透していたのは、安堵と諦観だったと思う。玉音放送が運んだ天皇の言葉は、ゲリラとしてとことんまで戦い続けることを望んでいた数少ない日本人将校たちの気持ちを、なだめる効果があったのである。」
米海軍情報将校 フランク・B・ギブニー(ニ○)
『突然、お隣のご主人が大声で叫んだ。
「戦争は、終わったんや。そう、のたもうとるで・・・日本は敗けたんや。敗けたんやで・・・」
しばらく、みんな、呆然と立ちすくんだ。
私は、ハッと我にかえって、義妹の顔を見た。義妹の目がパッと輝いた。私たちは、母の手を引っ張って、家の中に駈けこんだ。
「終わったのよ、母さん、戦争が終わったのよ」
「ほんとうに終わったのかねえ」
「終わったのよ、終わったのよ、私の旦那さまが帰ってくるのよ」
私と義妹は、手を握って家の中をぐるぐる踊りまわった。
「もう空襲もおしまいよ」
家中の暗幕をはずして歩いた。』
澤村貞子(三八)
「村のようすがいつもと違っていた。灯火管制のはずの村の家々は開け放たれ、電灯はこうこうと庭を照らし、かけまくっているらしいレコードからは古い歌が流れてきた。(中略)村の人が通りかかって、兵隊さん、もう戦争はしないでいいんだよ、とひとこと言ってむこうへ行った」
安野光雅(一九)
「そのときのみんなの表情がね、頬がゆるんでピクピクしてるんですよ。それを出さないように我慢してる姿がね。戦争に負けて理屈では悔しいんだけど、死なずにすんだという喜びがどんどん湧いてくる。みんな悔しいふりはしていますよ。デマ宣伝にだまされるな! そうだそうだ! 戦闘続行!なんて言いながら、頬がゆるんでる。体がよじれるような喜びが内から湧いてくる。戦争に負けたこととこれとは、とりあえず別ですよ。人間の生存本能じゃないですかね」
台湾・宜蘭(いーらん)基地二○五空小貫貞雄二飛曹の戦後の回想
「『日本は降伏したんだ。だが、またいつか、きっと立派な国になるさ。しっかりやろうよ』
喋(しゃべ)っているうちに私は、おろおろと泣き出してしまったが、女学生達はきょとんとした顔を見せただけだった。しらけた気持になって・・・若(も)しかすると、この女学生達は、まだ終戦のことを知らないのではあるまいか。私は口をつぐんで窓の外に顔をそむける」
「敗戦日記」菊田一夫(三七)
玉音放送後、街中では日傘を差し、隠し持っていたカラフルなスカートをはいた若い女性の姿を多く見かけ、浴衣に半幅帯で涼んだ年輩の女性も多く見かけた。灯火管制が解除されたため、その夜からどこの家でも煌々と電灯の明かりが灯され、空襲もなくなり、皆生き延びた事にホッとしたそうである。
「街々にあかるく電灯ともりたりともしびはかくも楽しかりしか」
大浜博(二一)
「あなうれしとにもかくにも生きのびて戦(たたかい)やめるけふの日にあふ」
河上肇(六六)