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2021/2/25 17:25

22回答

万葉集です。質問が二つあります。 1 当時一般人は時計を持っていないと思います。なぜ「いつ」という単語があったんですか。

回答(2件)

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●1について➡この歌は奈良時代の藤原宇合の作で、萬葉集の本文では「何時曽(いつそ)」となっているので、「何時(なんじ)なのか」という現代のような時間の観念があったのかとのご質問だと思います。ただ、これは最初に回答された方のように、時計や時間の決まりなどからできた言葉ではなく、元々古くからの日本語である「いつ」に、宇合が、あるいは萬葉集の筆録者などが、「いつ」の意味に合わせて「何時」と記したものと考えるのが妥当だと思います。因みに古語辞典には、「いつ」「いつか」「いつかは」「いつしか」「いつしかも」など、「いつ」にまつわる言葉がたくさん出ていますね。「なぜあったのか」とのご質問には、「当時すでにあった」としか、回答できません。 ●2について➡「や」には、終助詞と係助詞がありますが、文中に用いられていますから、終助詞ではなく、疑問や反語の意を表す係助詞です。「は」も係助詞ですね。「やは」と繋げて用いると多くは、反語を表すことになりますが、疑問を表すものも時にあるようですね。反語では、歌の主旨が破綻してしまいますよね。疑問とすると、「顔が見えるだろうか」となると思います。 ただ、上の解釈「来るのだろうか」では、漠然とその状況を詠んでも、歌としての感動がありませんね。そこでなのか、「日本古典文学大系、萬葉集二」では、次のような解説がありますので、引用させてもらいます。 「おもや」は、元々は「おもわ」だったのだとして(理由は記載されず)「おもわ」であれば、「面」や「姿」の意であるとしています。助詞としての「や」が名詞「おもわ」の誤記載という扱いになります。かなり強引な解釈ですが、そうすると、歌全体の意味は、納得のいくものにはなりますね。 大意--わが背子を、何時だろう今かしらと待っていると、なつかしい姿が現れることであろう。秋の風が吹いて来た。 「なべに」は、~~するとちょうどその時にといった意。 「秋の風吹く」は、風が吹くと恋しい人が訪れてくるという俗信があった。 と言った解説もあります。

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「いつ」を「何時」と漢語っぽい字を用いて書いてありますが、これは自国を尋ねる「何時(なんじ)」とは違います。時刻制度が始まったのは9世紀後半とされており、シナに習って十二支で表していましたが、これは朝廷でのことであり、一般に普及したのはずっと後でしょう。日本では暦も真暦(自然暦)を用い、集落ごとに話し合って決めていたので、 まして一日は大雑把に、ユフ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ→アサ→ヒル→ユフなどと言っていただけでしょう。「今日(けふ)」という言葉も過去数年ぐらいまでを含んで言うことがあったくらいです。今はそういう意味では「今日(こんにち)」と言って区別しますが。 「我が背子を 何時そ今かと待つ苗に 面やは見えむ 秋の風吹く」も、恋する男がいつ来るのか、今か今かと首を長くして待っている苗は、待ち望む男の顔が見えるだろうか、もう秋風が吹いているのに・・・。 この「何時曽」は「いつぞ」という和語を文字で書くとすれば、まだ女手(平仮名)がない時代には「何時曽」と書くしかないから。そう書いたに過ぎません。 「いつ」という日本語は、「時の流れを意識した」言葉にすぎず、時間を刻む単位とは関係がない。 「面やは」の「や」は疑念を表す助辞(助詞)、「は」は話題を提起する助辞(助詞)です。

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