ID非公開
ID非公開さん
2021/2/25 19:41
2回答
16c中世日本史の質問です。
16c中世日本史の質問です。 ポルトガル人が種子島に漂着したのが初めてのヨーロッパ人で、種子島時堯が鉄砲の製造、使用法を学ばせたと習いました。しかし、有名な鉄砲の生産地は、和泉の堺、近江の国友、紀伊の根来・雑賀と、どこも九州とは程遠いです。これは何故なのでしょうか?力の大きいな商人が近畿に多かっただけで、鉄砲自体は九州でも作られていたのでしょうか?
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ベストアンサー
近年の研究では、鉄砲を伝えたのはポルトガル人ではなく、ポルトガル人を乗せた中国人倭寇だった。というのが、通説です。 なので、倭寇と交易のあった、大内家や大友家も後には手に入れてはいたようです。 鉄砲記によれば、漂流者がもたらした2丁のうち1丁は根来寺の僧に寄贈され、それから鉄砲の職能集団として信長に付き従ってます。 流通の一大拠点の堺や近江で職工集団が生まれたのは必然だったような。
質問者からのお礼コメント
ありがとうございます!
お礼日時:2/25 22:00