日本海軍は前線で戦う軍艦を一生懸命作りましたが、補給船であるタンカーや給兵艦を準備しなかったので、

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:3/4 8:45

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国力で5倍以上のアメリカに対し6割近く用意してましたし、戦時急造でタンカーや輸送船、果ては軽空母にも短期間で転用できる量産艦艇も設計建造してましたよ それ以上に壊されたんですけどね ハワイがある限り、米軍は日本近海に潜水艦を送り込んできて国家経済に必要な資源を輸送する船団をかたぱしから破壊してきます 日本も米西海岸とかインド洋とかでやりましたけど、そもそも連合軍の資源量は多すぎて後方の輸送船なんかやってるくらいじゃとても追いつかないし、ハワイが米国の前線基地として存続している限り日本が潜水艦を西海岸に送り込んでも活動できる期間は短くなる。そして、アメリカが太平洋やインド洋で輸送している物資は軍需としては多くとも、国家の経済を回す量を必要とした日本よりは少なく、またその輸送船団はほとんどが軍の部隊を往来するわけで護衛も充実している もちろんもっと防衛のやりようとか対処法は後知恵ならいくつも思いつきますが、当時としては及第点な兵站計画を組んで、そのうえでそれを破壊されて負けたのです

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近代国家なのですから兵站線の概念を理解していないわけはありません。補給計画もきっちり作っていますから、補給に必要な船舶も揃えています。 前線で戦う軍艦を一生懸命作らないと前線が抜かれてしまって補給線など維持できるはずも無く、同じ理由で前線よりも護衛艦隊を優先することもできません。 戦線を広げ過ぎたことと、長期戦になってしまったこと、前線が勝てなかったことが兵站崩壊の直接原因なので、そこをどうにかしないと補給の問題はどうにもなりません。

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日本でも戦時輸送を前提とした輸送船舶の増産は意識しており、戦前から準備をしていました。 ただし、米側の造船能力が日本とは隔絶した物だった為に、どうにも戦争にならなかったというだけのこと。 補給線を軽視したどころかひたすら数を求めて、内容的には完全な粗製乱造船舶と化していました。 もっとも、軍艦籍である戦時急造の「松」型駆逐艦でも、建造時期によってどんどん工事が簡略化されていますので切羽詰まるとなんでもありということだったのでしょう。 Wiki「戦時標準船」 >戦時標準船は第二次世界大戦中の日本においても建造されている。日本における戦時標準船の構想は第一次世界大戦時からあったが、具体化したのは1937年以降である。量産性を向上すると共に資材節約を優先し、工程や構造、艤装等が大幅に簡素化されたため、耐久性、航海速力、信頼性などを犠牲にして建造された。「戦標船(せんぴょうせん)」と呼ばれることもある。 建造時期により第4次までの計画があり、一般の貨物船、鉱石運搬船、油槽船(タンカー)など各型合計で約1000隻が完成した。 >第1次戦時標準船 1941年から建造が開始されているが、戦前に計画された平時標準船型の設計を基にしているため簡略化の度合いが小さく、民間船としての経済性など戦後も使用することを考えていたため、建造期間が長く生産性に劣っていた。185隻が建造されたが大半を喪失しており、戦後に残っていたのは11隻のみであった。 >第2次戦時標準船 増大する船舶被害に造船が追いつかなくなり、建造期間の短縮および資材の節約を目的として第2次戦時標準船が建造されることとなった。 ブロック工法も用いて約1ヶ月で建造が可能な2E型が東京造船所・播磨松の浦・三菱若松・川南深堀の 4造船所を中心に419隻生産された。・・・(中略)・・・第2次以降に建造された戦時標準船の耐用年数は、すぐに撃沈されるだろうという想定から「機関1年・船体3年」とされ、鋼材の質の低下や舷側鋼板の薄肉化により強度が低下し、座礁しただけで大破沈没した船舶[3]や、ボイラーの爆発[4]など重大事故を起こした船舶もある。「轟沈型」とのあだ名さえあった。 すぐ撃沈される前提で工期1ケ月、機関寿命1年、船体寿命3年の船舶を造った訳です。 余りにも夢の無い話ばかりでも寂しいので少々面白い話も。 上記の標準船の中には基準排水量1万トンクラスの大物も含まれていました。 1万トンだと重巡や軽空母並みの重さになります。 そこで、こうした大型船に平坦な飛行甲板を設置。そこに短距離離着陸機やヘリの先祖みたいなオートジャイロを搭載しようという試みもありました。 米英が運用していた護衛空母の簡略版という所でしょうか。 そして、驚くべきことにこうした簡易空母を大日本帝国陸軍でも建造したこと。 世界中の陸軍で空母を保有したのは後にも先にも日本だけという快挙でした。 他にも給油艦にカタパルトと少数の攻撃機を搭載して、空母の補助に使おうということまで目論んでいます。 給油艦に水偵の6機くらい搭載して対潜警戒させるだけでも、有効だったのかもしれません。

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輸送船も大量に造船しています。戦時標準船(戦標船)といって工程を簡素化して短期間で進水させた船です。 問題は、海上護衛、対潜水艦戦を軽視し、平素からの研究を評価してこなかったことでしょう。 船舶輸送とその護衛は陸軍が仕方なくやっているほどに海軍は無関心だったので、昭和17年末から潜水艦によって輸送船が次々に沈没しました。 昭和19年には輸送船も枯渇してしまい、南方からの資源輸送はほぼできなくなっています。 海軍も最終的には海上護衛総隊を創設しますが、昭和19年末のことで連合艦隊がほぼ壊滅してほかにやることがなくなってからのことでした。