震電の設計図ってまだ、残っているのですか? 戦闘機でしたし米軍が燃やしちゃって残ってないとかですか?

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>震電の設計図ってまだ、残っているのですか?> 終戦間際、原図は処分され、戦後に占領軍により復元されましたし、一部資料は公開されています。 また震電は米軍により本土に運ばれ調査の後に、現在スミソニアン米国航空博物館の倉庫に分解状態で保管されています。 ■震電 スミソニアンの実機映像 https://www.youtube.com/watch?v=uVw2nWxO4SQ ちなみ米国の評価として、ムスタングは第二次大戦、最優秀。疾風は優れた戦闘機、紫電改は万能戦闘機だそうです。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、 >震電の設計図ってまだ、残っているのですか?> ありません。 公式な軍事関連書類は全て焼却処分されました。 終戦間近、米国との講和条約の=ポツダム案件の一文に、日本の戦争犯罪人を峻厳に裁判することを降伏条件とした事から、海軍大臣は事前処置として証拠隠滅の為に海軍に関わる一切の書類を処分せよと厳命したからです。 対米戦争で扇動したと判断されれば戦犯も在りえり、海軍省、官庁、県庁、末端の町役場でも完遂され、また海軍と関わった全企業も全ての技術資料は処分してしまったからです。 対して陸軍は証拠隠滅が不徹底で、東京裁判では東條内閣官僚と起訴中に死亡した永野軍令部総長を除き全員陸軍の軍人だった。 技術関連資料は失われていたので、占領軍は陸海に関わった設計や技術者を再招集して記憶に基づいて復元させました。 終戦時の武装解除で航空機はプロペラが外されタイヤはパンクされた状態で進駐軍を迎え、震電や疾風、紫電改、銀河など新鋭機はテストの為に再整備され米国品質の高性能プラグやオイル、燃料を供給され日本人飛行兵が指定基地への空輸にあたり、紫電改にグラマンが護衛にあたり、その回想では少しスロットルレバーを上げたらグラマンを軽く引き離してしまったそうで、これらが日本軍機の最後のフライトだったそうです。 また戦記で、終戦にあたり部隊が解散となる際に当面の食糧や物資が分配されるなか、なんと自機に乗り込み故郷へ帰ってしまう荒武者もいたそうで、終戦のドサクサで命令指揮権も曖昧となり、それまで軍需工場に派遣され、のさばっていた監督官な暴行をうけたり、一目散に逃げだしたそうです。 今日、大和の電気関連技術資料が発見されましたが、終戦時に関係者が一部資料を自宅に持ち帰り、長らく保管されていた物だそうですし、ゼロ戦の生みの親の堀越氏が亡くなり、その遺品に新たなゼロ戦の新資料となる発見があったそうです。 終戦当時、軍人や関係者に対しての厳命は、秘密は墓場まで持っていけであり、その責務を生前は持ち続けていたのでしょうね、、。 掲載写真はスミソニアンで分解調査状態の幻の「震電」と「橘花」です。

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以下の動画内容が本当であれば 少なくとも米軍には 「震電」に関する情報は ある程度保管されていると考えられます。 ※ただし、それが 現在の日本人が夢見る高性能機という 「震電」のイメージの通り・・・ ・・・という訳ではないようですよ。 【ゆっくり解説】 未完の名機は欠陥機?テスト結果から読み解く震電の実力 https://www.youtube.com/watch?v=ZOAOgLJ2aNM

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一部は残っていて、今日出版されている様々な書籍に転載されています。 おそらく米軍進駐時に残っていて押収されたものはまだアメリカの文書艦等に保管されていると思われます。 燃やしたとすれば、日本側の手によります。

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そもそも図面は複製されて関係各所へ配布され、原図は製作現場で使うことは基本的にありません。 複製は青焼きなどと呼ばれるジアゾ複写機を用いて製図されたものを指しますが、それらの多くは焼却されたものの、焼却を免れたものもそれなりに現存しています。 他回答者の指摘するとおり、焼却は上からの命令でしたが、数が多すぎて処分しきれなかったり、意図的に残されたものが結構な数量現存し、終戦時に米軍に押収されたものの返還されたものなどが防衛研究所戦史研究センター史料室他各所に保存されていたり、各製造メーカーや関係スタッフの自宅などに残っていたものもあり、それらの一部は一般に公開もされています。