その人のおかれた立場や都合で決めます。
企業の社長にとっての善はなるべく人件費を安くあげて業績を上げることです。
そこの社員の労働者にとっての善はなるべく楽して高給をもらうことです。
学校教育での教師にとっての善は、なるべく手をかけないで、生徒が問題起こさないように勉強や部活で優秀な成績を残すことです。
悪は生徒が指導に対して逆らったり反抗的な態度をとることです。
生徒にとっての善は、自分の個性を尊重して将来に繫がるような質の高い教育サービスを享受することです。
普遍的な社会正義など存在しません。
原発は善悪では決まらず、利害関係や地域の都合で存続が決まります。
軍事的な問題もそうです。
警察も正義のために存在しているわけではありません。
国という集団社会、その国の社会体制を維持するために存在します。
社会主義国家と資本主義国家では善悪は異なります。
資本主義国家(自由主義国家)でも集団の都合と個人の都合で善悪が争われます。
個人情報保護と国の治安維持は相反する部分があります。
自由は御都合主義で悪、集団の利益、みんなのために我慢することが正義・・・という論理で社会正義という言葉が便利に使われることが多いです。