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日本の剣士の武器って言うと剣一本で盾とかは一切持ってないイメージですが、海外の剣士って言うと剣と盾を持ってるイメージですよね、

世界史 | 日本史127閲覧

回答(11件)

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実は合理的だからです。刀一本で攻撃もできるし守りもできる。戦闘機も無駄なものはつけなかった。食事は箸のみ、この思想は後のアップルに影響を与えiPhoneなど誕生のきっかけになります。 西洋人は脳みそバカンだから何でも物を分割して考える。攻撃する用の剣と守るようの盾。食事を食べるようのフォークに切るようのナイフに吸うようのスプーンのように。

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日本が、守るよりも攻撃したがる文化があると言う点は、賛同するところもありますが。こと、盾の有無や、戦闘機の防弾に関しては、ちゃんと理由があってのことなので、いっしょくたに論じるのは乱暴ですね。 特に、盾に関しては、全然分かってない人がテキトーな回答されているのが目に付くので、書き込んでおきます。 そもそも、西洋でも東洋でも、ヨロイが発達すると盾はすたれて、長くて強力な両手もちの長柄武器+全身鎧+予備の剣、というスタイルに落ち着きます。 片手で持てるような盾では、重くて強力な両手持ち武器の攻撃を防げませんし、馬に乗って突進してくるのを防げないからです。 日本でも盾は使われていました。古墳時代くらいまではそうです。 http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c101.html 日本の場合は、平安時代の後半から騎馬戦術が発達し、馬に乗って弓矢で攻撃するのが主戦法にになりました。接近戦になった場合は馬上から大きな太刀で斬りつけるようになります。 馬に乗って、こちらの武器が届かないくらいの距離から弓矢を撃ちまくられると、徒歩の兵士が多数いても、手も足も出ません。一方的にやられてしまいます。なので、騎馬弓兵に一騎当千なんて言葉が出てきたし(さすがに千人は相手にできませんが、何十人くらいの小規模戦闘なら、一人の騎馬武者に、何十人の徒歩の兵士が潰走させられたでしょう)、騎馬武者に対抗するには騎馬武者が立ち向かうしかなく、一騎打ちで勝ったほうがその戦闘に勝ったも同然、てな概念が出てくるわけです。 こちらは鎌倉時代の騎馬武者のスタイルですが。 https://ameblo.jp/green-gaichi/image-12413688979-14288961865.html 他のかたも述べられてますが、ヨロイの肩あてが、盾のような機能を兼ねるようになります。馬に乗って弓矢を使いますので、盾は持てませんしね。 こちらはバチカンの衛兵ですが、西洋の15世紀くらいのスイス傭兵のスタイルですね。全身金属ヨロイ+両手持ちの長柄武器で、盾なんか持ってません。 http://images.china.cn/attachement/jpg/site1004/20110616/001ec94a25c50f63db1f52.jpg こちらは16世紀のスペイン王国のテルシオです。騎馬の突進に対抗せねばならないので、盾なんか持ってません。いちいちURL貼りませんが、ドイツのランクツネヒトもそうですね。 https://livedoor.blogimg.jp/all_nations/imgs/f/4/f4f30c75-s.jpg やがて日本では、室町時代や、とくに江戸時代には、町のなか平時でも刀(馬上から使う長大な太刀ではなく、腰に差す打刀)が発達します。平時の町中ですから当然、盾なんか持ち歩いてないわけです。 日本が、攻撃を好む傾向があるのは、そうだと思いますね。サッカーなどでも、守備的戦術というのは日本では面白くないと批判されたりしてますからね。 逆に、イタリアは、サッカーなどでも「守り抜く」というのが美しく男らしいという感覚があるようですしね。 日本は国土が狭くて逃げ道がないので、守りに入ってもだいたい持ちこたえられず、イチかバチかで攻撃に賭けるしか生き延びられない例が多かったんでしょう。 イタリアは都市国家で、周辺は大国なので自分から攻撃することはなく、よく攻められたものの、城塞都市なので粘り強く籠城戦を戦って守り抜いたことが、生存につながったんでしょう。 と、個人的には思っています。

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「日本の戦闘機は軽い感じでなるべく身軽さを重視」ってのは、ゼロ戦から来る、二重三重の誤解ですよ。 むろんご存じなくて構わないのですが、軽量な戦闘機で格闘戦なんてのは第一次大戦で終わっており、時代は高性能で高速な爆撃機とそれを邀撃できる戦闘機の時代ですので、日本だって、速度を重視したハイパワーエンジンの戦闘機を開発しています。 そもそもゼロ戦だって一撃離脱の戦法が基本です。 まかりまちがって後ろをとられたら格闘戦にもちこんでいくってだけです。 そして、アメリカの戦闘機は早々にゼロ戦など日本機より優速で、急降下の速度も高かったので、劣勢の日本機は格闘戦で対抗するしかなかったってことです。 好き好んでやってるわけじゃあありません。 (エンジンなど技術力の限界については回答があるとおりです) >軽さを最優先にするんですか? 盾についてはすでに良回答がありますので、別の回答にしますが、日本だって鎌倉時代あたりまでは、重武装の鎧装束で、両手であつかうでかい太刀の時代です。 槍よりも、薙刀ですし。 それが戦国時代になると、集団での野戦へと変容したので、遠距離での対峙する戦になり、片手で使う打ち刀、ぶんまわし殴り倒す槍に変わったんです。 ヨーロッパでも同様で散兵戦術へと戦場が変わっていくと、鎧にしても、薄く軽くなっていきます。 >どんなことよりも軽さを最優先にするんですか? なぜかこの話題になると、奈良の大仏や巨大な古墳、大阪城や江戸城、戦艦大和や東京タワーにスカイツリーといった、デカいのを好む日本人の気質は無視する謎があります。 日本製のタンカーが世界最大を更新しつづけた近年のことさえ、無視しています。 どこを摘まみ上げるかで変わるってだけの話ですね。

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刀剣と戦闘機では事情が異なりますが 刀剣のサイズと重量は主に体格に依存します。体格を言えば日本人は欧米よりもおおむね1割程度低身長だったため多少の重量差がありますが、体格を揃えた場合日本刀は西洋で主流だったサーベルよりは軽く長く、レイピアよりは重く短い程度の重量寸法なので、特別軽量化された装備というわけではありません。しいて言えば冶金技術特に量産技術が普及しなかったので防具が木製中心となり、軽防御かつ軽量だったため、金属鎧や鎖帷子が比較的普及した大陸に比べると細身の刀身で刺突、あるいは大重量で叩き切ることに特化する必要がなかった、あるいは双方をそれなりに可能なまま刀が存続したというところでしょうか 実際には大半の普及レベルの刀剣はサーベルと大差ない構造で切れ味もさほどよくなく、1mを越える野太刀や大太刀が流行った時期もあれば、農民兵に貸し出す片手持ちの刀剣が量産されたりもしました 戦闘機に関しては、日本は技術力が他国より低くて大出力小型エンジンが造れなかったので、そのエンジンでも対抗できる性能を求めた結果装甲の簡略化や小型化が行われたに過ぎません。ただあくまでも必要に迫られてのことで別に日本が小型軽量志向というわけでもなく、戦艦大和などの世界最大レベルの兵器を作ったりもしています

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鎧袖と言って、盾が鎧と一体化しているんだな。これなら、両手を塞がずに弓を構えられる。 鉄砲が普及しだすと、武将クラスの鎧や兜は点眼にもある程度、耐えられるように作られるようになる。 最上義光の兜は、長谷堂城の戦いの追撃戦で被弾した弾痕がある。 試し撃ちの弾痕が残る鎧も多い。

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