「ときは今・・・」明智光秀の有名な連歌ですが、この歌を聞いただけで謀反の気に気づくというのが疑問です。

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その歌会は本能寺の変が起きる 五日ほど前に明智光秀が山城の西坊で 京の衆ら招いて開催されたものと、 されています。よく考えたら、 謀反決行の直前に、えらい呑気な ことを、していると思いませんか。 しかも光秀が招いた客人らは、 丹波で軍勢を集結している明智に とって京都の織田信長や織田信忠の 現状を把握している者たち、なんで 明智光秀は歌会の客人らから 織田信長、織田信忠が手勢極少で 、しばらく京に滞在する予定だと 知らされて謀反を決断したのでは。 自分は光秀の詠んだ詩歌が、どうの というより歌会の客人らが 明智光秀の知りたい情報を思わず ウタわされていた恰好なんではと。

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その道のプロですよ。 連歌は占いです。どういう流れ方をして、如何なる決着に至るかで神の託宣をはかるのです。 その為には人間が熟考したりしてはいけません。ストレートにやり取りしてもいけません。 表は季節か恋の歌で進行しつつ裏の真意で交換するのです。二重構造を即興で作らねばなりません。そんなの無理と思うかも知れませんが、速断で頭がひねり出した答えだからこそ神の御業であり、神の意思が潜んでいると捉えるわけです。 それからこの時の連歌会は光秀の主催。そして参加した武家は光秀とその長子のみ。 その構成員(顔ぶれ)を眺めただけで、一流の連歌師なら 「ははーん、今日のお題は明智家の将来に関する物だな」と推察し、ある程度構えておくことが出来ます。 そこへ、どかんと衝撃の発句が発表されたのですね。

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あのレベルなら普通に気づくでしょ 江戸時代の庶民が読んだ狂歌でもなかなかのものだし 太平の眠りを覚ます~ とか逸品だよね

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“愛宕百韻”に参加した 里村紹巴や東行澄なら、理解出来たでしょう。 ただ、理解出来ても、“一座の座興”ほどに取ったかも知れませんが・・・。 その理由は、彼らがぽっと出の連歌師ではなかったコト! 和歌をキチンと学んだ上で、“連歌師”となっているのが彼らだからです。 里村紹巴は、歌人・和学者である三条西公条(きんえだ)に学んでいますし、古典の注釈書も遺している、当時の連歌第一人者。 また東行澄とは、宗祇に“古今伝授”を行った、東常縁(とうのつねより)の親戚です。 ※ 古今伝授:“古今和歌集”に関する秘事の口伝。これは、藤原俊成・定家に始まる“二条派歌学”で定まッたモノ。 ※ 二条派の藤原定家:彼は、“新古今和歌集(1205)”に代表される、和歌のテクニック(枕詞・掛詞・縁語・本歌取りほか)をフル動員した作風・表現(新古今調)を確立した人物。 ところでこの当時の和歌は、目の前のことを三十一文字に写す“万葉調”は、流行りません。 流行っていたのは、新古今調の歌作り。 ただ、技巧が凝らしに凝らす作風なので、一般人では理解出来ないほど。 つまり、様々な知識(歌枕や歴史や作法ほか)や、頭の柔軟さが絶対に必要でした。 そういう意味では、“新古今調の和歌”を詠むことは、いわば“自らの知識や優秀さ”をひけらかすコト。 だから、伝統的教養と縁がない人間には、作歌出来ません。 そしてそれは、異なる句を繋げていく、“連歌”にも通じると言えるでしょう。 ところで光秀の発句(冒頭の句)は、“土岐は今天が下知る五月かな”と書き直せますよね。 ここでポイントは、“古典に通じる知識”を持っているかどうか! つまり“天が下知る”というフレーズ(例えば『古事記』など)に、触れていたかどうかです。 ※ 『古事記』綏靖天皇(二代目)の冒頭は、“神沼河耳命。坐葛城高岡宮。治天下也。此天皇。…”で始まります。これを訓み下せば、 “神沼河耳命(カムヌナカワミミの命)は葛城高岡宮に坐し(いまし)て。天下治(あめのした治めたまいし)也。此の天皇は…” となり、この冒頭のスタイルは『古事記』で各天皇に共通するモノです。 ですからこのフレーズの裏の意味は、和歌をたしなむ上級公家や、里村紹巴らなら理解出来るとなるのです。 こんなんでどうですか(^^)/

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大変なとこで、おおぼけしてました(笑) 下から6行目末尾 “天下治(あめのした治めたまいし)”の訓み方が、“治”の漢字に引っ張られてしまいました(>_<) “治”は正しくは、“しらしめ”と訓むべきなんです。 ・・・でないと、何のために引用したか・・・・・・(笑)  なお余分ですが、“法隆寺の金堂薬師如来像の光背銘”。 ここには、用明天皇(聖徳太子の父)を、“池邊大宮(いけべのおおみやに)治天下大王天皇”と刻まれてて、“あめのしたしろしめすおおきみ・の・すめらみこと”なんて、ヨミならわしています(^^)/

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後世の創作ですね(>_<) 光秀が信長&信忠の動向を知ったのは、 四国遠征軍に合流するために移動中の最中であり、 すでに夜でしたので、慌てて本能寺に向かったくらいです。 信長と家督を相続している信忠を同時に討たねばならず、 そんな絶好の機会が巡って来るかも分からないような、 ずっと以前から謀反を計画していたとは思えません(>_<)

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