ナザレのイエスが実在したという証拠にはどのようなものがありますか?(聖書以外で)

宗教 | 哲学、倫理47閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">100

1人が共感しています

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:5/9 20:05

その他の回答(7件)

0

聖書以外の記述だと、 ユダヤ教のタルムードの解説書ゲマラには、 「イエスという人々を惑わす偽預言者がいた」 とあります。 ユダヤ人歴史家フラフィウス・ヨセフスは 著書「ユダヤ古代誌(AD93年)」の中で、 「イエスという人を聖人と呼んでいる人々がいた」 と書いています。 古代ローマの歴史家コルネリウス・タキトゥスは AD115年に「イエスとその信徒たちは 日頃から忌まわしい行為で人々を惑わしたので ティベリウスの治世下に、イエスは 総督ポンティウス・ピラトによって処刑された」 と書いています。 ――――――― イギリスの宗教史研究者S. G. F.ブランドン (英語版)(S. G. F. Brandon)は 1967年に"Jesus and the Zealots , A study of the political Factor in Premitive Christianity "(邦題『イエスとゼーロータイ ~ 原始キリスト教における政治的要素に関する研究』) を著しています。 歴史家 土井正興は『イエス・キリスト — その歴史的追究』 (三一書房、1966年)を著しています。 専修大学教授土井のイエス像は、 当時、不浄なものとして差別され、虐げられていた 「アム・ハ・アレツ」(「地の民」)と共に立ち、 彼らを宗教的に救済しようとする一方で、 ゼーロータイ的な政治革命への志向性をも有し、 その両者を統合しようとするが、 有効な革命理論の定立と行動の組織化に破綻を来した為、 イエスは自らの運動に挫折した、というものである。 「レザー アスラン 宗教史研究者 カリフォルニア大学リバーサイド校 創作学教授」 救世主(キリスト)としてのイエスは実在しなかった。 いたのは、暴力で秩序転覆を図った 革命家(ゼロット)としてのイエスだった。 歴史上のイエスは革命家というかテロリストで、 それを継いだ初期の教団設立者が キリストに仕立て上げていった イエスの職業は、大工もしくは建設労働者を意味する 『テクトーン』だったという。これが事実だとすると、 イエスは職人、もしくは日雇労働者だったわけで、 1世紀のパレスチナの無学者の中では、貧窮者、物乞い、 奴隷よりいくらかマシな最下層階級に属していた のではないかと思われる。 「ジョエル・カーマイケル」 イエスは自ら「ユダヤ人の王」として ローマの支配体制に抵抗し、最終的には 武力革命の興起を試みた結果、当時の アンチローマ・ラディカリストである「ゼーロータイ」 (熱心党)の1人として、ローマ帝国の派遣した ユダヤ総督によって磔刑に処せられた、 という解釈を施している。

0

こういう説明を見つけました。 __タルムードの中ではイエスのことが何度か否定的に述べられています。 __それを真実として受け入れているのは特定の学者たちだけです。 __一方,タキツス,スエトニウス,小プリニウスが何度か, __またフラビウス・ヨセフスが少なくとも1回, __イエスに言及している事実は, __イエスが歴史上実在の人物であった証拠として一般に認められています。 タルムードはユダヤ人たちのための、ユダヤ教的教えの本です。 1世紀から2世紀にかけて書かれました。 タルムードが批判であるにせよイエスについて言及していることは、 イエスが実在したことの証拠です。 人名が何人も挙げられていますが、 それらは古代の歴史学者です。 彼らもイエスが実在したことの証拠として イエスの名に言及しています。 これは私の記憶から述べることですが、 古代の競技場の階段に使用された石の裏に、 「イエスと呼ばれる人物の兄弟ヤコブ」という記述を見つけたそうです。 ですから、1世紀2世紀のころ、イエスの実在性を疑う者はいなかったということです。

0

1830年4月6日に設立された末日聖徒イエス・キリスト教会のおこりを調べると、さらにその実在と、真実性がよくわかります。 ジョセフ・スミスは、14歳のとき、1820年の早春、森の中で心から熱烈に祈り求めた時、御父と御子イエス・キリストの天からの直接の訪れを受けています。その後、主の遣わされた様々な天使たちの直接の訪れを受け、古代の記録や主からの直接の素晴らしい啓示の御言葉を受けています。 首を切られて亡くなったバプテスマのヨハネが完全な姿、神々しい天使としてジョセフ・スミスとオリバー・カウドリーに現れ、彼らの頭に手を置き、バプテスマを施すことのできる神の権能、アロン神権を授けています。 その後、ローマ帝国の弾圧で亡くなったペテロ、ヤコブと、主の来臨までこの世に生きていると告げられているヨハネ、この3人が神々しい天使として現れ、ジョセフとオリバーカウドリーの頭に手を置き、二人を使徒に聖任し、イエス・キリストの権能、御子の神権、つまりメルキゼデク神権を授けています。これは聖霊の賜物を授けるために不可欠な神の権威です。 古代の記録、モルモン書、近代のキリストからの預言者たちへの直接の啓示の御言葉である「教義つ聖約」、これらは聖書の内容と完全に一致、調和していました。驚き、感動しました。 その教会のホームページを検索すると、それらの聖典も読めます。 関心があれば調べてみてくだ添い。私は、本屋で発見し、読み驚きました。十字架で亡くなられた後復活したキリストが、古代アメリカ大陸の人々に天から降臨して訪れ、福音を教えていたのです。キリスト教の聖典は聖書だけだと思っていたのですが、目の前に不思議な確かな聖文・聖典があることを知ったのです。聖書と同じスビリッツがあるのです。しかし内容は異なります。 聖書のヨハネ書の10章16節には、「わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。」と告げている箇所がありますが、モルモン書の中で、キリストはその他の囲いにいる羊とはあなたがたのことであると告げているのです。そしてさらに、その地以外にも羊がおり、そこにも行かねばならないと、古代アメリカ大陸の人々に告げていたのです。 モルモン書は古代アメリカ大陸にいた預言者達が書き残した記録でしたが、彼らは、彼らのその記録が主の計画により「亡霊の声のように地の中からささやくように」(このことは旧約聖書イザヤ29章4節、同18~19節で予告されていた。)この地上で出てくるこの近代を先見し、私たちのための様々な預言と勧めを残しているのです。 真剣に学ぼうとする者は、その恵みを受けるでしょう。真の主(神)はこのことを「不思議なおどろくべきわざを行う」(イザヤ29:14)と告げているのです。

0

こんにちは。「tyran」です。 「聖骸布:せいがいふ」という、磔刑後のイエス様の「遺体」を包み、イエス・キリストのお姿が「転写された」と言われる布があります。 古代ユダヤの慣習で、人が亡くなると遺体を「杉綾織りの亜麻布」(リンネル)に包み「洞窟」に保管するわけですが、「聖骸布」のように「布」に遺体の姿が転写されるなど、普通はあり得ないわけです。 「聖骸布」は、1353年にフランス「リレ」のシャルニー家が所有していることが知られて、その後、様々な批判に遭いながらも場所が、転々と移され、今日、イタリア「トリノ」の聖ヨハネ大聖堂にて展示されております。 科学的な検証も進められておりますが、「本物・偽物」の論議は、尽きることなく「謎」の聖遺物でもあります。 また「新約聖書」のイエス様の物語を想像するに、大いに役立った「聖遺物」でもあります。「聖骸布」を写真に撮り、「ネガ」にすると暗く写る部分は影になり、明るく写る部分は白く写って「白黒写真」のように、普通の「ネガ」と映り方が逆になります。 「聖骸布」に転写された男性は、身長180㎝、「長髪」で「あごひげ」があり、頭から血が流れた痕跡、腹部に両腕が置かれており、その腕には「釘」を打たれた後があって、また、足にも「釘」を打たれた痕跡が見られます。「脇腹」にも「槍」を刺された跡があります。 古代ユダヤには「遺体」の両眼に「コイン」を乗せる風習があって、「聖骸布」の「彼」の両眼にも「コイン」を乗せた痕跡が写されております。 この「聖骸布」が発見されたことにより、イエス様:イエス・キリストが「長髪」で「あごひげ」をはやしていたことが初めて「認識」されました。それまでは、イエス様が「長髪」で「あごひげ」をはやしていたことは「新約聖書」のどこにも記されておらず、「聖骸布」の発見から、イエス・キリスト(ジーザス)は、長身の男で「長髪」で「あごひげ」があるとのイメージが確立されて行きました。 「聖骸布」が見つけられる以前は、聖書物語「新約聖書」のイエス様がどの様な「お姿」なのか、読者は解らないまま想像するしかなかったのです。 余談ですが、現代において、ある「観光客」が「エルサレム」を訪れ、近隣の「観光写真」を撮って、帰宅後に「現像」してみると、ほとんどの「ネガ」が真っ白で何も写っておらず、ある一枚だけ、御一行様「集団」の姿が映されておりました。 そこに写されてる人々の姿は、古代ユダヤの「服装」で、行列で歩いている先頭に「長髪」で「あごひげ」をはやした長身の男性が写されており、その横に別の男性が話しかけている。さらに、その後ろには「お弟子さん」のような人々が続いているという場面の写真でした。 「行列」の中には「女性」の様な人物も見られます。(マグダラのマリアか?) その「写真」は、おそらく、当時の「イエス様」と「弟子達」が”その場所を歩いていた過去の出来事”を、観光に来た方が、時空を超えて記録的に「写真」に納めてしまった可能性もあります。 この「写真」も「本物・偽物」との議論が出そうですが、「聖書を読んで役者を立てて写した」か偽物説が出たとしても、決定的な「真実性」が遺されています。 それは、先頭を歩いている「イエス様」と思しき男性の「長髪の頭」には、「金環:金属で出来た髪留め」がはめられており、この金属で出来た「髪留め」をかぶっておられたことは、「新約聖書」のどこにも記されておらず、バチカン市国の「法王・教皇」も知らない事であり、世界中の「神父」も知らない事であります。 おそらく「純金」で出来た「髪留め」だった可能性もあり、当時の「裁判」の時に、ローマ兵士に取られて「いばらの冠」をかぶせられたのだと思われます。 つまり、「イスラエル観光」で写された「イエス様・御一行様」の写真は、本物の可能性が高いです。一般的な「イエス様:ジーザス」のイメージは、ほぼ「正解」に近いのではないでしょうか。 私は、イエス様の存在は真実の出来事だったと思います。 以上です。 ありがとうございました。

0

タルムードに示唆されてます。 聖骸布とされる、遺体を包んだ布があります。 ギリシャの人口調査の資料が残ってれば…明記されてるはずです。税に関わってるので… 「歴」ですかね…他に… 新約聖霊の外典かな?