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2021/4/3 10:15

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「天」の意味

補足

【訂正】 「永正五年辰天五月二十日」ではなく、 「文政九年戌天五月廿日」です。すみません。

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質問の回答ではなくて、誠に申し訳ありません。調べていて気がついたことがあったので、この場をお借りして報告させてください m(_ _)m oki********さんの調べてこられた『庚申碑』です。 日付のわかっているものは、すべて庚申日でした。 そこで日付が推測できるものもあります。 *戌 享保三 天 戌 七月拾三日(戊戌) 戊戌年・庚申月・庚申日 (1718_08_09 辛酉月・庚申日) 元文五 庚申 天 十二月廿四日 庚申年・己丑月・庚申日 (1741_02_09 辛酉年・辛卯月・庚申日) *安永四 ● 天 九月十●日(乙未) →九月十五日 乙未年・丙戌月・庚申日 (1775_10_04 丁亥月・庚申日) *明和元 ●申 天 (甲申) 明和元年は六月二日(1764_06_30)~ ①七月十日 甲申年・壬申月・庚申日 (1764_08_07 癸酉月・庚申日) ②九月十一日 甲戌月・庚申日 (1764_10_06 乙亥月・庚申日) ③十一月十三日 丙子月・庚申日 (1764_12_05 丁丑月・庚申日) *寛政四 子 天 七月吉辰日(壬子) →七月ニ十三日 壬子年・戊申月・庚申日 (1792_09_09 庚戌月・庚申日) 寛政十二●申 天 十二月十二日 庚申年・己丑月・庚申日 (1801_01_26 辛酉年・庚寅月・庚申日) フリーソフトの暦で調べましたが、そのソフトは定気定朔法です。 定気定朔法は天保十五年(1844)の天保暦からなのに、日付は全て正確に庚申日で、ズレはありませんでした。(庚申塔って、後年に作られるものでしたっけ) 残念ながら、回答の手がかりは見つけられませんでした (*´・ω・)

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当地方の図書館に行き「庚申碑」の調査票を見てきました。以下のように6基がありました。これらは皆庚申碑ですが不思議なことに*印を付したのは 庚申の年ではありませんでした。それは兎も角、「天」は「年」と同じように使われているのだと思いました。なおこれらの調査票はすべて写真添付されていました。また全数10点あるうちの6点だけ「天」を確認できました *戌享保三天戌七月拾三日(戊戌) 元文五庚申天十二月廿四日 *安永四〇天九月十〇日(乙未) *明和元〇申天 (甲申) *寛政四子天七月吉辰日(壬子) 寛政十二〇申天十二月十二日

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年号の後に干支の入るのはもともと天行を太歳(木星)ではかり、その木星の方向のある星の名(困敦、赤奮若、摂提格、單閼・・)で呼んでいたのが、名が煩雑であるのでいつの頃よりか十二支に置き換えられ、また十干を加え「文政九年太歳在丙戌」→「文政九年歳在丙戌」→「文政九年丙戌歳」と記されるようになったものです。 ここでおたずねの「天」とは太歳の天行の事かと思うのですが、言及しているものがなくあくまで推定です。天の時間の概念は天気のような短いもの、一天両天のような一日、春天のような季節から九天、三十六天といった際限のないものまであります。 新ミュンヘン娘さんが用例がないとおっしゃったのですが、何か見たことあるなあと思っていたところshu********さんが見つけてくれました。ぼくもどっかの庚申塔で見かけたのだと思います。その時は何の疑問もなく「天=歳」だと考えていました。こういう石碑では刻画を減らすために歳を「才」した例もあり、古文書でも見かけます。 答えがないからか、まとまりませんが、一言お伝えしたくて。

bluebonnetさんのおっしゃる「天=日」は非常に納得がいきますね。日は何月何日という意味なんですね。なるぼど

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永正五年の干支は戊辰(つちのえたつ)です。 「永正五年戊辰五月二十日」のまちがいではないでしょうか。 年月日の「年」のあとにその年の干支が入るのはごく普通のことですが、「○天」が入る例は見たことがありません。

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質問者2021/4/3 10:50

すみません。間違えていました。。 永正五年の方は「永正五年辰」でした。すみません。 問題のものは「文政九年戌天五月廿日」です。 確かに天と書かれています。 十干ではないですよね…。