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2021/4/12 7:42

77回答

●宗教の質問●

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質問者2021/4/12 15:11

とても納得できました!ありがとうございました!

ThanksImg質問者からのお礼コメント

一番わかりやすかったです。 皆さんありがとうございました

お礼日時:4/16 21:43

その他の回答(6件)

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~キリスト教。 人類の始祖(アダムとイブ)は 神に反逆して罪人となった(原罪)ので、 その子孫は、あたかも罪が遺伝するかの如く、 全て罪人として生まれてくるようになった。 また、罪の結果は死なので、 人類の始祖およびその子孫は死ぬものとなった。 イエスはアダムの失敗をやり直した。 (イエスが自らを犠牲としてアダムの罪の償いをした (アダムは神の意志に反逆したが、 神がアダムの罪の償いをするために イエスをキリストとして地上に送ったイエスは 神の意志に従って神に従順に死を受け入れた) それを信仰することによって人は義と認められる。 要するに、人は罪人ですから、 人は神の恩寵によってのみ救われる (したがって人はそれを受け入れるだけ)ことを 意味してます。 キリスト教は、 人類の始祖の罪の結果として、人類は全て 罪を犯さざるを得ないような存在として生まれてくる、 ということが言いたいわけです。 そうすることによって キリスト教を受け入れることの必要性や意味が 生まれてくるからです。 「我々の教祖の死は敗北ではなく、 罪を贖う犠牲の死であった。 アダムとイブの罪は、神と人類の間に、 我らの教祖の死を仲介にしなければ、取り戻すことのできない 決定的な断絶を生んだ、よって、我らの教祖を信ぜよ」 というメッセージなのです。 つまり、アダムによって人類は罪人となり、 イエスがキリストとして死んだことによって贖われると 解釈することによって、彼らの教祖の死が、犬死にではなく、 大変有意義な死となったわけです。

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質問者2021/4/13 10:43

始祖(アダムとイブ)の祟りというわけですねぇ。 先祖の祟りとか、今時、仏教でも言いませんけどね(笑)

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この世界が闇の中だから、ここから抜け出したいと願う仏性で性善説に成るんだよ 願わないと性悪説のままの人間だよね だから悪人正機なのさ

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質問者2021/4/12 19:44

ナルホド〜、そういう考え方もありますか。

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人間の内面には鬼と仏性の両面を併せ持っているというのが仏教の教えです。仏性とは慈悲のことです。慈悲とは地獄に在る人に救いの手を差し伸べたい、苦しんでいる人を救いたいと思う気持ちであり、それを実践するのが成仏の道である菩薩行です。ボランティアも困っている人を助けるのも虐待されている子供を救い出すのも菩薩行です。菩薩行を重ねることで仏性がその人の人格となる。それを「覚りを開いた」とか成仏した(仏に成った)と言います。 恨みや怒りや嫉妬は人間の心を鬼に変えます。鬼とは他人の不幸を願うようになった人間のことです。鬼の住む場所は地獄なので自分の生活が地獄へと変化していきます。それは恨みや怒りや嫉妬は自分が幸せになるための合理的な正しい判断をできなくするからです。したがって「許す」というのは相手のためではなく自分のためなのです。 仏教以前から欲が人間を苦しめると考えられていました。釈迦は煩悩を滅するために厳しい修行をしていましたが、そのような修行は無駄であることを悟り煩悩足菩提を説いています。菩提とは悟りを得た仏の境地のことであり、自己中心的な欲望である煩悩が仏の欲望である苦しんでいる人を救いたい、人を幸せにしたい、笑顔にしたいという崇高な欲望に変わることを煩悩即菩提と言うのです。

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質問者2021/4/12 11:55

とてもわかりやすい解説ありがとうございます!

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仏教の性善説なんて聞いたことない。

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質問者2021/4/12 9:45

あなたの勉強不足ということで、、、

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ヨハネの黙示録 21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。 21:2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。 21:3また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 21:4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 21:5すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。 21:6そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。 21:7勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。 21:8しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。 21:9最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。 21:10この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた。 _ 地球の性質なのだか、宇宙の動向なのだか、人間の性癖なのだか、それらを起因とする災害は、考えなければならないことも、地域および地域群の宿命とみえる。 先々、未来を旅するのも人間、学習したようになるのも人間、災害でGo to Travel and stop.するのも人間、人間の社会なり街並み、いろいろと計画され行事されるような。

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質問者2021/4/12 10:13

たしかに人間のには欲望もあり、そちらが勝ってしまうときには世の中は荒れますからね。 ですから良心と欲望の両方が1人1人に備わっていることを、1人1人が理解するべきだと思います。 〈この世界が邪悪な勢力で支配されている〉というのは世界大戦あたりのことですね。 その辺を正しく判断する必要があると思います。